西欧近代発祥の豊かさの
追求は、歴史社会の全くの過誤だった。それ以前の農耕社会では、原始に神設えの自然の囲いの下、歴史社会は、多くの地で物的生産はそこそこであるままに、自然の循環と呼応する、安穏な営みがされていたのである。それが西欧近代においての宗教の衰弱と、その宗教が同時に皮肉にも齎した労働忌避観が、歴史社会の発展の過誤をここ迄の行き着かせ、自然設えの神による、日本への震災鐵槌、として結果したのである。救いの道は唯一つ、現の物的過剰生産、を、過去を時代を追って幾らでも正確に掴む学的生産、へと組み替えて行くことなのだ!
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