2020年3月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

« 失楽園。 | トップページ | 此の星の神の御望みのように、 »

2020年2月 9日 (日)

前衛。

 自然の囲いの下、農耕と仕向けている神は、芸術も呼応する伝統技法によるリアリズム、と求めていることは間違いない。ところで百姓とは、その抽象的解析において、百姓・人間・猿類・哺乳類・脊椎動物・動物・生物・物体・存在、ということにもなろう。存在という最抽象の水準で、時間に即して、刻々一点10割確率存在の継続、と捉えるならば、それを刻々一点の周りの任意領域に任意割確率存在という曖昧存在の自己選択、という個個人の存在性の自己決定という逸らしが可能になるであろう。そしてこの逸らしの原理を各各抽象水準にへと及ぼし得る筈である。これを最具体の百姓に適用すれば、一生10割百姓を逸らして任意割の百姓を点々させることになる。一方このような逸らし呼応して芸術にも可能であって、絵筆を人間の足に置き換える、などする、伝統芸術へ向けての、多領域多様な革新前衛、となってしまうのである。つまりこれも、我等が本来は超神、なるが故に、だ!

« 失楽園。 | トップページ | 此の星の神の御望みのように、 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 失楽園。 | トップページ | 此の星の神の御望みのように、 »