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2019年9月 7日 (土)

「悲愴」、はブルジョアクラシック

一般のように、人間個我を交響に盛る、という芸術上の反倫理を犯してしまっている、然るに、仮にその個我も神の自我と観念し変えれば、その反倫理は解消しようし、正に現に星の仕切りに進退極まっている、神の自我の悲愴の表現とも聞かれてしまうのだ、さらにその神と何時も一体の筈の、人間社会の悲愴、の表現としても、デイエゴは、無意識にベネゼエラの悲愴、を表現してしまったのかも知れない。それにしても、当市の政治家は、デイエゴの爪の垢でも煎じて飲んで、世界に先駆け、土地神の求める、市政健全化の強権を振るう考えが微塵も無いのか?

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