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2019年3月 9日 (土)

非暴力ということ。

 私達は、手をこまねいて生きていられる存在ではない。生きて行くために労働が不可避であるように仕向けられた存在なのである。ユダヤ教やキリスト教やイスラム教は、それを何時のころからか神罰による自然変動によりそうされたと教えて来て、他の異教や現代考古学と認識が違っているのである。それはともかく、そのように生存継続のために労働が不可避のことなのなら、その労働を回避しようとする者には、暴力的な制裁を逆に不可避とすることを、人間に向かって自然を設えた者が無言で宣明していることになり、ここにおいて全くの非暴力という思想的主張は、自然を設えし者が明白に却下していることであることを断言して置こう。それに、争いを止めさせるのにも、苛めを止めさせるのにも、言葉だけでは不十分であることが、卑近に明白であろう。そんなこんなの仕切神の真の考えの学びのためにも、神の道から外れるだけ外れた極東のこの地に、二度の大震災が降下されることになったのである!

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