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2019年3月17日 (日)

うきよ、とは、

何者かが人間に向かって、自然を、生存継続のための労働、を不可避としまっている、ので成立してしまうものなのである。それについての解釈が、ユダヤ教の創世記により、連綿、西洋に伝わって来ているのである。ユダヤ教の解釈がそのような被害的なものである以上、西洋人にとっては、うきよ、は、憂き世、となってしまうであろう。もっともうきよ、も、西洋でもギリシャ向きの者には、うきよ、は寧ろ、浮き世、つまり、決して苦にならない心の浮く世、と思わて来たのであり、東洋では仏教は人生苦観(それを仏心錬成の種、として被害感は持つな、と教える)、儒教は農本楽観の思想であった筈である。こうして仕切超越者が仕向けた農耕をそのまま嬉しと受け止める者と、と被害感しか持ち得ず利己的にそれを逸らす人間とが半々に現れ出て、仕切超越者と不満者達を庇う魔王達との善悪対立抗争が此の星では長く継続していて、現下も、基準の実直労働を逸らし多くが心を堕落させた日本に震災大鉄槌が報われると言った形でこれからも長く継続して行くしかない訳なのである!

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