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2019年1月13日 (日)

マーラーは個人意識の

表現を交響という音の共産に盛る、というブルジョア・クラシックまでの表現の倒錯を、極限にまで行き着かせてしまったのだと言える。それはあたかも、個人の生活を他の多数の者の物的共産により実現するという、特権階級の生活と、同型の構造を持つものであった。それがショスタの空前の共産クラシックによって初めて、打破されることを得たのである!

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