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2018年12月10日 (月)

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 そこでは、固定的なものは流動的であり、流動的なものは固定的である。そこで、規律する神はなしくずしにさせる悪魔であり、なしくずしにさせる悪魔は規律する神である。そんなホームに帰り着きたくて、詩人は歌い、画家は描いた。芸術は感覚によって深く掴んで、認識する哲学の先を行ってしまうことも、多多あるのだろう。かくして自分も文化人だとすればきっと神が恐らそのようにした。そして同じように神に、蒙昧にして脆弱なるを引き受けさせられ放置された者の実存への想像的共感を媒介にして、恐らくそれも神の設えしこの世界の絶望的喪失感に衝き上げられざるを得ないのである。しかし、希望はある、何故なら、我々がそこから喪失してあるその在所を深い郷愁を持って望み見れば、そこでは固定がそのまま流動であるように、絶望がそのまま希望でもあろうから!

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