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2018年5月26日 (土)

生きるという企てが芸術の境位を

決めるとするならば、この時代自分の生きるというその企てが、下手をすると、神への反抗者達の頭目、ルシファー御大の反抗的転落・億年の反抗継続、という魂境涯同に導かれないとしても、一切の打算も自己欺瞞もなく企てられる芸術家は世界に皆無と言ってよいだろう。ただ、当国で白昼渾身の意志で、腹をかっさばいた芸術家だけが辛うじて肉薄出来たかに思われる。魂として企てることを抜きにした芸術論議の、余りの低次元さを知れ!

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