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2018年3月18日 (日)

宇宙即我。

 釈迦個人その時代の禅定が、現代天文学によって集結される科学的認識の努力を上回ってこの大宇宙の隅々まで(ミクロからマクロまで)認識仕切ったのだと、伝統仏教が伝承しているすれば、それは笑止な妄想ということになろう。釈迦の料簡は恐らく、当時の当地の近辺の自然天然を、宇宙、と観じて、即我、と言ったに過ぎないのである。それを現代に引き伸ばせば宇宙即我より先ず、地球即我、自分も数多他者も、此の地球と一体、地球公共的存在、だ、と言うことだ。因みに、伝統仏教は始祖の釈迦のこれも認識の甘さにより、当国近世の、無慈悲そのものの、信長、のような存在をその教義において説明出きず、彼になす術ない攻撃を被り、近世以降、庶民の支持を失ってしまったのである!

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