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2018年1月21日 (日)

第二次戦は自由帝国主義、

全体帝国主義、社会主義(内部に社会帝国主義化の芽を宿した)、の争いであって、帝国主義という国家的ニーチェ主義と、最初のものは個人的な信仰の集合との、第二は国家的な信仰との、第三は唯物との、結合、という複雑な政治思想同士が争ったことであった。そして何れ帝国主義であることと、唯物マルクス主義であることとで、多数人命が軽々に奪われることになったのである。無論、その際にも自然神の一定の鉄槌牽制があった筈だが、人間の争闘の強烈の前に無視されたのだった。こうして、これが限りなくいないに近い無能主宰神とその仕切りに苦しむ非神多数の構図として、本来超神なる者達の現象態としてけざやかなるものがあったのである。因みに主宰神が求める通有の政治思想が、自己に信仰を向けつつの、自由共産主義、であることが誰しもにも分かったことであろう!

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