2009年12月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

« 芸術家よ、 | トップページ | 超神が神に、 »

2009年7月12日 (日)

昼の夢は、

あの人の優しい心というものがよく分かる平山画伯の訪問だった。自分が、どんな自慢になるもてなしようも出来ないので、二階から昔買った画集を持って来ることにした。ガサガサやっているうちに、様子を見に来た姉と些細の事で喧嘩になった。一頻りして、下に下りていったら、用があるので帰られたということだった。そして途轍もない悲しみが訪れた。 姉は絵を書かせると、荒い力強いタッチで描くような性格の人だ。それだから、国家からの給付金その他を自分が先に立って逃さずゲットとして家系のためになっているが、人にまでそのことを要求するので困る。 村上春樹の小説の中の人間は、蒸発、のように死んで行く。彼等は、神の造りし、この世界(隣人のありよう(何も性格の著しく違う、そして愛について十分に教えらていない隣人でなくてもよい)、自分の心身のありよう(周期的に空腹になっても、放っておけば消失するものであってもよい)も含めて)への抗議者、として発達したのだ。太宰治も、弱々しそうに見えて、最後は、入水を決行出来る者なのである。 それにしても、現のこの星の神を突き放して、未だ見ぬもっと別の神を虚空に求める彷徨にこんなにも長く、明け暮れてきた者達のことを思うと、そしてこの星の神の、そしてもっと神一般の下での、神で非い者の、彼等が証明したような苛酷な運命の可能性(この星の神は彼等を、唯、何時までも反抗を止めない仕方が無い奴等、としか受け止めて来ないのか?)、自分の胸は幾千、幾万回張り裂けても足りない位の気がするのである。 しかしそれだから彼等だけは、一切の感傷を無に帰すために、文学というものに基本的に必須の、時間ということと絶縁して、既に超文学的、で有り得ている筈だ。黙示録を、自分達を憐れな者達と虚構した、この星の魂卑しき神・天上の者達のものす、三文小説、と揶揄しながら!

« 芸術家よ、 | トップページ | 超神が神に、 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/183983/45607723

この記事へのトラックバック一覧です: 昼の夢は、:

« 芸術家よ、 | トップページ | 超神が神に、 »