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2008年12月22日 (月)

日本の室町時代のような

国際世界が、この先、日本の戦国時代のようなりませぬように。また宗教も当代の日本仏教・日本儒教のようになりませぬように。 神仏の法(自然法は)は国際法に優先する。十六世紀以来の西欧の他地域進出による富の集中は不当利得で返還義務がある。この債務に時効はない。 古代奴隷制と民主政治。市民に貴族と平民の差異があり、奴隷に市民権は無論認められていない。かような場合経済上の差異に従い、政治上の権限・権利の差異を認めた方が反って望ましい。それを認めず、一律の民主を偽装しての民主政治は、現代資本主義下の民主政治と同じく、本当の民主政治ではない。またそのような階級社会では人間を一律に論じようがないから、その下での人間学も、ソクラテス・プラトン・アリストテレスのそれのように虚妄となってしまう。その後のキリスト教も、現実政治に距離を置く姿勢だったので、その人間観は根底的に虚妄で(人間は先ず何よりも神に仕向けられて、政治経済的人間なのである)、同じく虚妄な筈のギリシャ哲学を容易に護教哲学として結びつけ得たのである。かような西洋の社会伝統・文化伝統の大虚妄は、彼の炯眼のカール=マルクスによって、断罪されてしまうのは必然だった。此処に彼が、その部分ではこの星の主神と見解を同じうするという西洋史の大皮肉(大悲劇?)が、成立してしまったのである。本当の民主政治も、人間学も、そこに広義の労働者として一切人間に差別のない、同時にマルクス主義者には残念ながら有り得なかったす真の神への信仰に燃えた、自由共産主義下においてしか考えようのないものなのだ。

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