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2008年11月27日 (木)

コミュニズム遇想。

 インターネットでインターナショナル。眼に見えない我々の人類的存在性が眼に見えるようになった。眼に見えた情報の共有の向こうに、中々眼に見えない物資の共有ということも見出して行くこと。しかもそれが二つながらに。局部偏在的であることも。(デジタルデバイド・帝国主義)。 蟹工船は、未だこの世界から消失しない今や非日本の労働様相となっているだろう。しかしその労働の不公正を正しても、その神が仕向けた思しき類的不可避労働(必須ビタミンD摂取のための)の労働強度が相当か、という根本の疑問もあるのだ。まあ、諾として置こう。 餓死消去性=食糧生産性、として類的存在性は始められ、次第に生活充実性へと拡大されて来た筈だ。そして原初の必要的労働強度が、以後一切の拡大される生産のための労働の標準となるべき筈だった。因みに、生産拡大は、徒な快楽・利便増産へと走ってはならず、それら((快楽・利便)過剰生産の勢いが出たら、それを一定化して、生産労働時間を縮減し、残余を文化創造労働時間に転化すべきだ。こうして、一日の労働と、快楽を継続的にバランスさせ続けるのだ。 有島武郎、有産なら、それを革命運動に費消すれば良かったじゃないか、生まれ変わってもっと頭良く、もっと哲学的な人間に、なろう。 デカルトの出会い。神と物体(本来神)による、餓死可能性の設えによる、必死の、人間(本来神)という労働的退行態への気遣いに、負けない必死の、自主的労働者への自己回復のための生産労働で応える(行く行くは、生産から解放されての文化創造労働へと転化させて行く)、これがコミュニズムの原理だ! 

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