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2008年4月30日 (水)

鴎外よ、文学は、

文学することが、生活することと矛盾対立することなき、社会、さらに世界を求めて、自分の生命、或いは自分の魂を危うくするほどに、純粋に企てなければ、終に我等の本来であるところの、超神の文学の水準には決して行き着けない。今一番それに肉薄しているのは、純粋故に神にも抗うこととなり、結果堕とされた地獄の深淵にてそのまま長く営んで、その霊的に最高級の作物が、決してこの星大多数の者には示されることのない者達のそれであろう。ただ、その者達のとしての生活からこの地上に逃れ出てこの地上で再び不可避的に、逃れた筈のその者達の心に自分の心を再び通じさせてしまい、その後に再び真逆さまにその場所に堕ちて行ったような者達だけが、その幾分かの触りをこの地上に残す。或いは今では、一反悔い改めねば出てこれぬ筈だったこの地上に手引きにより密潜入を果たした者もその様を残して再び堕ちる。明治帝国と文学として衝突して諦念している位では、道は遠いことであろう。また、自己によっては文学不能でその悲痛が完結しているところの、ホームレスの悲痛を、愛により替わってこの文学としてこの世界に開示し得たならばそれが、恐らくその名の通り、その文学に神をしも拝跪させ得るものとして、超神の文学(,究極の文学表現力が、それを全的に喪失したことの悲痛を表現しているという絶対矛盾において)、ということにもなろう!

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