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2008年1月 5日 (土)

仏教・儒教の政治的無力性。

 例えば、我が日本のあの乱れた戦国時代に、当邦の仏教者や儒教者は一体何処で何をなさっていたのであろうか。一方、あの滅ぼされた謙信や、信玄が情けの分かる人格者としてそれら宗教から評価されたりしているのである。また一方、天下統一に道筋をつけた信長、秀吉、家康がそのような人格者であったとは思えない。また、江戸時代の儒教の隆盛も現実政治が今言ったようなそれら宗教の言う人格とは無縁な政治家の力で安定したが故の出来た学者の道楽と言った方が良い位なのである(現代日本でも横行しているところの)。こうして東洋総帥の両頭の地域宗教と思しき仏教も儒教も現実政治には殆ど無効で(政治に悪が跋扈しやすいのに、彼等の説く善が隣在する悪にどう対処すべきか殆ど説かれていない)この東洋に連綿たる悪政史を連ねさせてしまったのである。我が宗教はその過去の反省から立ち上げられる。因みに、我が宗教が主題とする超大魔王ルシファーは、その昔(一億二千万年前)この地上に政治家として生まれ出てこの地上からこの星の自分が日頃から不満があった神(直接は直属上司の副副神エンリル)に成り代わりこの星を仕切らんとする暴挙(壮挙?この当日本史の信長も真っ青の)に出て、討伐の手に掛かって以来なのである。

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