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2008年1月31日 (木)

思いつき

 生まれつきの人の心を責めても仕方無い。 能力を草木のように育てる。 久しく、仲良くするとか、労るとか、が根こそぎにされていて・・・。 何時死ぬか不確定というのも生き辛くて行き届かないことに思えるが、まあ、平均寿命を目当てにして・・・。 ちりとてちんの行儀の悪さも仕掛けだろう。 超理想=超神が原理だ。

中国をタダタダ悪者にする前に、

自分が悪くしていないか(自分の干渉の反省)、或いは相手が自分の想像を超えて大変なのではないか(相手の実情の理解)を考えてから、どの位悪いか言ってあげよう。人間の中の誰彼がどの位物臭で、体を洗うための入浴なんぞ嫌いなのか分らず、その入浴をしないと結果、体が垢染みて下着も汚くなって気が滅入るこの世界の構造を彼等に押し付けた(裏返せば体洗い入浴の強制)うえで、彼等を人間をタダタダ怠け者、と悪く言って、心を傷つけられた彼等に反抗されるだけ反抗されている、この星の神すらそうしなければならないように。不具者は、隣なる具有者の頭を下げての奉仕がなければ、その不具を克服して行く気になんかなれない。オカマがそれで構わないなら、弱者にも鍛えて強くなれなどと周りが自分の都合のいいように、自己強化を強制してはならない。周囲にその心がけが無いと、一定時間のうちに彼は、最終的にはこの大宇宙をも癌化し得る、精神のポリープとなるだろう。

2008年1月30日 (水)

思いつき

 超神が、アダムとイヴの謎を読み解く。 弱者も馬鹿にされて弱者に居直る。 弱者苛めの救済を丸ごと、態度を弁えた神に。或いは弱者に銃のごとき物を。 神は基本的に腰低く。 ルシファー、ちょっと来いと言えるほどの善霊に。 自分を貫く。 奉仕の心で、市長もヤクザも無く。 生まれつきの性質の悪い者を除けたらば、普通人の方が先ず、意志が悪い。 

日本製造業資本の

外国投資によりながらの、輸出先他先進国及び国内への製品の一方的移行の内の国内への集中分と、国内大多数が外国での製造労働とは比較にならない軽労働のサービス生産とを交換して、国内の製品・サービス満載と言うことを実現してしまっている。実質、外国から国内への製品の貢納構造を実現してしまっている。正常化には、経済圏の遍く賃金の適正化・平準化の、暴力を介入させてもの実現が必要であろう。しかしその許されぬ少数国だけの安楽な暮らしへの満足が、根底でのこの世界への虚無の気の呼吸と共に、その国民達に実感されてしまってもいる。

2008年1月29日 (火)

「あ」

 「おまえは(指示)いい(自己)」そして「あなたも(指示)いい(自己)」から、おまえとおれの間に「あ」という形良い口の中の石が生まれた。

物理的実在は精神を愛しんで。

 私、質量は、この世で精神に、抵抗、を御届け致します。私、電気は、この世で精神に、感動、を御届け致します。

関西人と仕事をした。

言葉は争えない。心が落ち着く。そして日本文化史の分断の悲しみを思う。同型のアングロサクソンのそれをも。東京・アメリカ。行く行くは、強くてしかも文化に深い理解のある政治家によって、とも思うのだが・・・。

2008年1月28日 (月)

不具者と同じ位

具有者が苦労して、その具有する物を移し変えられる。目明きの苦労しての情景の語りが、盲人の目が見えているようなイメージとなる。思想家の百姓・漁師同等の苦労による語りが、彼等にも良く分かる思想の語りとなる。 相手の身になるために頭を下げて教えて貰う。神でもそれを怠ると、恐らく深く愛し合う男女の相互理解に負けてしまっていたのだ。

2008年1月27日 (日)

一番は特別人ではない。

 競争すりゃあ、一番、二番、三番と順位が付くんだから、それも時の運ということであろう。それだから、一番という順位に捉われていない一番の輩出を望む。

本当はカラッキシ役立たずの文学で、

世間から生活の資を掠め取った小林秀雄(彼の文学は金輪際、百姓や漁師やらの幸福とは関係がない)も、生産活動は、神、おめえがやれよ、と言っている。

階級社会というこの星の神の

世界への揶揄。犠牲にされている者達の労働を、神、好きなおめえが全部やれよ、という、彼等の深いこの星の底からの無言の呼ばわりだったからである。

2008年1月26日 (土)

世界創造に酔い痴れた神がランボーに

に分かった「酔いどれ船」から神へと遡行して行くこと、逆に神の内懐から飛び出して悪魔達である彼等がボードレールに分かった「悪の華」から彼等に深く遡行して行くこと、詩業はそれら二つながらの遡行を臨機に交錯・転容させながら究極の彼岸へ向かって。

ストーカーより、

身勝手な神や、親は始末が悪い。愛は取り合えずは、彼等の方から一方向なのだから。こうして、何時だって、「済まない」、は愛の言葉だ。この世界の造りは何だ、この人間の存在の仕方は何だ、この社会の有様は何だ、この社会の慣行は何だ、この家の造りは何だ、アンタ等の人柄は何だ、アンタ等の姿形は何だ、・・・・・・。神も、親も、何よりもその育まんとする者に、自分に対等に物が言える心理環境を造ってあげるべきであろう。

2008年1月25日 (金)

人間を死の恐怖の前に晒し

労働を強制して来た(このことについての人間の満足度を、今すぐネットでアンケーを取ってみれば)この星の神よ、悔い改めねばこの星に、彼等のようにあからさまに反抗はせずとも、心から貴方の言うことを聞く者はいなくなるであろう。先ずこの世の人間の前に常時ある死の恐怖を如何にしてか速やかに取り除け。北朝鮮多数餓死民衆の冥福のためにも。害には害が返る。

超神。

 神と神からの欠落の体験との同時成立(絶対矛盾的自己同一)。他への同化は、自己と他の内容的距離と自己の思いやり能力と相関で実現される。神と普通人は、非普通人対し、前者は思いやりの能力で後者に勝り、後者は相手への距離で前者に勝る。神からの欠落の体験は、周囲の奉仕で、自己回復のエネルギーに転じ、周囲の侮蔑で、周囲への敵対のエネルギーに転ずる。この星では一部天使が、反抗的悪魔に転じた。

国際自由共産主義骨子。

 先進三極による、近縁三世界担当。三世界それぞれ内の年収の平準化(帝国主義の解消)。産業の公営部門の可及的縮小。各市場の寡占均衡(大・中小の二重構造の解消)、生活共同体としての企業内成員(株主、経営者、労働者)の年収の平準化、、目先の効率至上の工場夜勤慣行の廃止。市場の需要の道徳性のあるものへの誘導(消費者の道徳的消費生活の確立)、凡そこれ位となっております。これによって神の日本国土への、正拳中段突きも不可避だったことが良く分って頂けたであろう。

いても仕方が無い副神以下、天上人。

 造反者が全体的に世界に仕掛けた差別と怨恨の悪想念の前で、この日本で、主神の世界の悪の掃討を待ち望む、ベンチャラ傍観副神に成り果てた不幸の非科学主宰・小川衰法等は、主神による掃討の後、廃墟から細々新しい歴史を立ち上げるひ弱な善人ばら、と言うことを繰り返すことになるだろう。しかし反抗者達は即座に、新しく始められる、ひ弱な善人達の歴史の、心の隙にすぐに付け入る算段を始め、またぞろ、歴史社会に悪想念を蔓延させることになるであろう。またひ弱な善人達がこの世の寿命尽きて帰って行く天上界も、彼等の魔の勢力の地獄の底からの、オメエラモココマデオリテコイヨ、の怒号の弥増しにより、おちおち安らかには暮らしていられない場所になることだろう。こうして、この星の主神は、反抗者と、その側でちじこまるヤギのようなベンチャラ善霊(キリスト教徒が典型)ばかりをこの星に存在させてしまったのである。そこで主神はこの時代、その掃討の手を少しでも信ずる者に分かち合わせて、それらをモチット、魂的に逞しくしてあげるべきであろう。

自由。

 自由な私達は、その星の一般肯定価値定立者=神を判定した。また私達は一般に、互いに、互いそれぞれのの価値定立を判定し合う。究極絶対一元の超神の価値定立に到り着くまで。

視力2.0者より、

全盲者(そうして生きていく者として)の方が、そしてその人生の方が価値高きはずだ。視力2.0者は、全盲者に頭を下げてその視力を分かち合ってその価値に追い付け。国家の経済力だって同じだ。また、不具者や、劣者は、周囲が現実には心無い時は、絶望することなく、彼は頭を下げて支えてくれる筈の、神を拝んで支えられよ。間違ってならないのは、自分の体の不具に一人で負けない者は、心は超具有者であることだ。

2008年1月24日 (木)

創世記寸評。

 ケータイで色々宅配して貰い、生活の苦労皆無の、究極のコンビ二生活を夢見ている諸君。この星の神は、人間に生活のための軽労働から始めさせて、その後人間が色々言いつけに背いたので、もっと不可避の生活のためのより重い労働へ移行させたがように、創世記には書いてある。然るに、移行させられたより重い労働は、元々神が人間の発達を求めて予定していたことだとも考えられるのだ。こうして人間の多くが抱く、コンビ二生活の願望は、この星の神によってと歴史の当初から全く無視され、そのために時代時代に、一部の人間の支配による階級社会の形成という矛盾を現象させ、当代まで来てしまっているのである。こうして現代の世界矛盾の解決には(歴史社会を破砕するのでなければ)、人間の方が矛盾を耐え忍ぶか、神が思い切って世界変容を試みるかの、二つの選択しかないことになる。

2008年1月23日 (水)

この星開闢以来被造物一般に、

常時拝跪して奉仕、という存在論的義務を怠り続けたこの星の神は、それを償わねば被造物一般に、今まで魔の勢力にそうされたようにどんな反抗をされても文句は言えない。

三層の心の交流。

 表面の自分の共通認識により、取り合えず理解し合えぬそれぞれの真の自分の自覚により、そして根底の超神一体の自覚により。 超神は神以上の愛を発現し得る者として。 超神はそれだから存在丸ごとの性欲の持ち主として、行き会う他者全てが最愛の恋人のようであって。 深い到達と、偏き及ぼしと。時間性格、空間性格。 個性は行き着いて、常ならぬ天気だ。 神にも、負けない反抗者・悪魔達にも、負けない個存として。 一人一人の志向=当為は、本当に深い意味での無私=愛、へと企てることだ。

善い心も悪い心も魂にとって

可能性は同じだ。 神・天使に人間が気楽に不服申し立てが出来る心理環境が作られていなかった。 惨め内容の自分にも、周りの人間の酷さにも頭を下げてください。 一人変なのが生まれてきたら。周囲の皆が御奉仕だ。また能力者は、然らざる者に御奉仕だ。

2008年1月22日 (火)

彼等の億年の体験の

それ以外の者による反芻の勤行の実践と自分の態度の悔い改めとを彼等に申し出、その反抗の差し止めを請願するのが、悔い改めた此れまでのこの星の主神だ!

2008年1月21日 (月)

勝負は実力互角なら、

一戦は時の運、数戦で同勝同敗が先験的(やってみる前から明らかなこと)で、勝敗に汲々とするのがそもそも馬鹿らしいことであろう。勝つべき相手に必ず勝ち、接線の結果になる筈の相手には必ず接線の結果を出すことの方が大事なのである。さらに人と比較せず、自分の目標だけを地道に追求する努力精進のあり方が考えられる。また、優劣が決まったら、優者は劣者に、寧ろ頭を下げて、御奉仕すべきだ。

悪いのは自分方だときっと謝っている神に。

 今すぐ、人間の労働を農業・漁業準拠とか言ってないで皆、軽作業並にしたら。それに家の歩いてすぐ近くにコンビにを。働けるが進んで働きたくない奴は沢山いる。職場のボスへの神の教育もなっていなくて碌なボスがいなくてそれも負担だ。 神に十分に愛されない彼等が、魂が霊的に純粋であればあるほど、その星でたった一人になってしまう可能性でもあること証明した。 逆に霊的に不純なベンチャラ傍観副神、ベンチャラ皆殺し主神はこの星を去れ。 悪や奴等を蹴散らしても無駄だ。 命の犠牲なんぞという犠牲のレヴェルではなく、信仰の犠牲すらが必要なこの星なのだ!

思いつき

 夭折・心中への好尚。彼、小林には、文芸批評家としての野心以前に、黙示録による終末観が心の底にあったのかも知れない。その通り、当時も碌な時代ではなかったので。終末は副神・大川隆法により、前世紀末のポール・シフトとして開示されたが、何故か回避されている。歴史の起死回生を期しての神の猶予、と私は受け止めているのだが・・・。

2008年1月20日 (日)

思いつき

 魂の内容・現象を超える。 自分自身を誰も恨んだりはしないんだ。 だから神よ(その他一切他者よ)、御前に何が分かると何時も嘯いてよい。 普通人と非普通人との彼岸。 絵は言葉を喚起する。 伝統主義と言った言葉の矛盾になる(それは漢語だから)混血文化。 根源遡行と目前の現実。時間性格と空間性格。 昼に目が覚めると、花馬車が着いていた・・・。 人間に何させるんだよ・・・。 小林秀雄もやはり普通に死んではいないとも言えるのだから。    

彫刻・影絵というネガ・カンディンスキー。

 一切の形は色と固有に番わされているので。感じる者には、形と色の結合その時、の抱擁感、そして性感すら感得出来るであろう。 テネシーワルツ、マイオールドフレンドのランボーを、マイスイートハートの小林秀雄に紹介した富永太郎から、小林の心が離れて言った。女達(詩人達)は共に死に、男(批評家)はその後、その追想に生きるしかなかった。 中原中也という反世界者。その星の神にも満たされないという真実を示して。それだから芸術は何よりも、嘘偽りなく自分である、言葉を、音を、色と形を、・・・。 しかし、美は隣人愛のイメージをとは仕向けられている。 愛しい者は水のようにあって、ふと見るとやはり、水のように消えて失くなっていた。 十分に愛されなかった者の胸底の悲しみが実は、この星の真の全体の美を表しているのだから。

拳骨主神は

(赤チンもって来たよ)副神をも、寸でのところで殴ることなくここまで来た。自分はもう嫌になったとは決して言っていられない拳骨主神の心を思い、副神も当邦政治家も速やかに彼に帰順し、国民の予算泥棒を速やかに償わしめ、その勢いでアジア太平天国の建設へ向かって邁進せよ!

2008年1月19日 (土)

超神において、愛、到り着いて、

神と人間ホームレスの、絶対矛盾的自己同一。私達に必ずしも誰しもが望まぬ生産労働を強いたこの星の神よ、頑張って。

一人遊びが好い人間もいる。

仲良く遊び暮らすのが好い人間もいる。また働く生活の周囲が幾らでも物質的に豊かであって欲しい人間は一般だ。然るにそれが全人間には未だ出来ない時代に、他国人を犠牲にしてそれを実現してしまった我が日本の国土をそれを許さずということでこの星の神はあの通り突いたのでるある。空手極真居士も、恐らく快楽主義的に精神退廃してしまった日本列島への、神の、真実の極真正拳中段突きだったのである。然るに、冒頭の矛盾を鋭く突いて、日本国の国情をそのような国情へと仕向けたのが、縷説して来たこの星の反抗者、魔の勢力なのである。一体この星で、誰が本当に悪いのだろうか?(今日は、中道的日和見空信仰!)

朝青龍、ジンギスカンのように、

アジアを制覇してみても空しいことだぜ。モンゴル大相撲と日本大相撲との交流の架け橋となれ。そのためにもう少し、人格を調えてなあ。

文体とは大江健三郎だ。

私達は彼が、彼の文体のように実存していることを知るしかなかった筈だ。そして彼は同時に文体すらも、心に愛、宿せる魂であることも証明したのだ。

2008年1月18日 (金)

盲人は

心の目明き(盲という不具の意識体験が分っている)、目明きは心の盲人、御互いの目明きを分かち合うのだ。また、目明きが心の盲人と弁えないと、目明きにそれをよく分からせてあげるために、盲人は座頭市のように悪人化する。 彼等魔の勢力に、赦してくれと言っている神。 勝って人を悔しがらせても、勝っていて人を悔しがらせていても、結局、自分が空しくなるだけだったのだ。

観念としての愛、観念としての害。

 恨んでいても深奥で愛しんでいれば、愛しむ思いはあっても深奥で薄情であれば。観念としての神と悪魔と、現実のそれとの逆転。原理である超神=準々無無(また無=準無無)による、神という概念と悪魔という概念の同時成立。価値的絶対矛盾の自己同一。

2008年1月17日 (木)

神近き者は、

より獣近き者に、来回帰(この世界は永遠回帰しているから)での立場の交代を思い決して他人事では無いの思いで、またその大変さを直覚し、その大変さに謝り、さらに頭を下げてその内情を教えて貰いながら、その持てる物で絶対奉仕せよ。この星の神自体にこれまでにその態度がなかったので、神でない者の内の一部の長くの反抗が始まった!

一個性として、

彼等魔の勢力の面々のように、神にも負けたくない皆様は、この世で今から、「超!」と言って、地面を思っきり踏みつけにして始めて頂きたく、此処に宜しく御願い申し上げます。一本来超神同胞、敬白。

すぐ近くのコンビ二

(今時、必ず酒も売ってる)を愛して、神を愛さず。誰もしてあげる前に、自分の方がよーく教育して貰おう。 命の犠牲って、その時から自然に死ぬまでのその者のこの世で愛の可能性の犠牲なんだね、それだから・・・。 しかし、イメージ大川栄策の顔、の社会は、その通り美しくない。だから人一倍、富を分捕ってる者がね・・・。 しかし、自分を決して誤魔化さない、その大変なことが最優先みたいだ。真の美が祝福する。 生まれて来た一人の非普通でない者に周りのその他がすぐ謝るという決して見果てぬ夢。 先ず、相手の澄まし顔(村上隆のドップくんじゃないが)の陰で、自分が深く嫌われてないか、と。 だけど、恐らく道徳サボった役人と業者ののせいで、やる気のしない冬場の多量な仕事だ。自分ひとり、迷惑をかけている、冬眠中の生き物達に深く謝って置こう。

2008年1月16日 (水)

階級社会の文化精神。

 階級社会は、前時代の政治経済的に無法な闘争の勝利者による歴史社会の平定により成立するかに考えられる。それ故、その後の社会では、統治者の精神は強、その係累の精神は弱、被支配者にして犠牲的労働を強いられる者の精神は強、という本質的な精神的な強弱の分布を呈するかに考えられる。こうしてクラシック音楽は行儀が良く、かつ表現技術の高度さは感じられるものの、どこか精神虚弱なものを感じさせられないでいられないのに対し、俗楽の自分達への本質的差別への不満を宿しつつ精神強靭なるものとの対比が成立してしまうかにに思える。本邦の某姉妹の企てにこれらのことが良く対比的に聞き取れることになるのではないか。然るに、我が日本は、家電・自動車売り込み戦士の強靭、予算分捕り政治家の強靭に守られて他の犠牲にされてある民族のより虚弱になってしまった精神といううことになるのであり、文化精神としても、そこに人間差別の無い共産主義精神が発現するものとは程遠い、真の美を表現すること無き、空しいものばかりということに成り下がってしまっているのである。

ワイマールのヒトラー。

 ワイマール民主主義を逆手にとって、弛緩した当時のドイツ社会に強権支配を確立した。当時のハ教授が、何故か哲学的考察においてこの者も看過した政治的現存在。同じような危機性を孕む当今日本社会にも、方便として彼のような悪魔、的な政治手腕が必要なのかもしれない。 ファシズムについては、神の惑星統治という超政治の次元で彼が既に一定のファシストなのだから、現実政治で言われるものは政治規制性の程度に従っての相対的な名辞であろう。アレルギーは払拭した方がいい。因みに今言った神の超政治の次元で反体制者がいるということなのである。そして無論、経過的な措置を超えてはっきり制度の自由度が恒常的に極小でフッシズムであるものは、隣人愛に絶望させアンチクリストを世界に蔓延させる彼等の策謀なのだが(或いは逆に自由度が過大な制度の下で快楽主義を蔓延させるのも)・・・。

出来損ないのアダムとイヴに

少しも頭が下がっていなかった神は、彼自身が出来損ないの神、或いは実相悪魔だ、神でない者達の内の本当に彼を思っている者達が鏡に見せたところの。

日本でだったら、

家賃ただの公団住宅、或いは工場の寮に住んで、重労働をさせられらながら、古着を擦り切れるまで来て、最低の物を食って生活をしていることになる、七億の中国農民(ただ但しその年収水準に従い、彼等を日本での工場労働者と想定してみての生活。但し、日本人の同じ工場労働者は臨時工でも、それより十倍の日当である筈である(日当名目で、中国農民、五十円、日本の工場労働者、五千円、物価は十倍安いと想定した)よ、悪いのはカール=マルクスでもなく、毛沢東でもなく、この星の主神だと思う。彼が日頃から自分がタダ働きが大好きを標榜しているのだから。それで彼に成り代わり彼が自分でやればいいことの我々への生産労働の押し付けを、決して彼のように高貴ではないにしても本来は超神を自覚した私がここで深く御詫びして置きます。因みに彼の下の副神が、この日本でこの時代に余り役にも立たない教えを信者に説きながら世俗に散って自分達はそこで苦労をしている信者から金を召し上げて、優雅な暮らしをし続けていることもここに告知して置きます。

2008年1月15日 (火)

無無。

 神々の宴のあとのかような劇だ。そして、それを打ち上げて超神として立ち上がって再び宴だ。そしてまた・・・。幾度も繰り返して後、疲れて無に帰し眠る。宇宙風と共に惑星世界の一切は消え去る。そしてまた・・・。こうして、無と存在(惑星規模の)は永遠回帰する。そしてそうさせるものとして、我々は超神をさらに超えて、超時空的な、最終概念、無、以前の、無無、だ。それが愛の絶対牽引だ!

男女。

 男女はこの世界に存在する一切の上下を象徴していて、本来の超神(=男女)対等の仮象を表している。そこで男が女の辛さが分かって頭を下げると御互いに深く(本来の超神同士のように)心が通い合う。そしてこの世界の一切の上下が男女に準ずる。

揚羽蝶の神秘その他を

円満に経済を発展させてそれを揚棄し文明史を全体的に学問の時代に移行させた上で解明することが、皆に求められていたことだった。新エデンの園計画という神の世界計画。しかし我々は無暗な欲望のままに、アサリを枯渇させることまでしてしまった。しかるに人間の内の未だ善なる者は、そのようにしてしまった者達を、神が自然暴力を行使して彼等を地獄へと叱り飛ばすのを、自分達は只、黙って見ているだだけでいいのか。願わくは自分が叱り飛ばされる前にすんでに信じて悔い改めた国家権力が神のような迫力で、経済に対してその一切の歪みの是正を迫る者であって貰いたい。しかしもっと深くは、私達は辛抱強い遺伝子組み換えによってしか消去出来ない人間の一部の癌組織を抱えた生命体として此処ずっとは、健康体の快の受容を終に断念すべき運命であるのかも知れない。生き物皆も神にそのことを覚悟させらているのかも知れない。人間の内の悪しき者達はは、その自由意志の故にとは必ずしも言えない(だから裁きは彼等にとって意味を持たない)ごときだから。そうだ恐らくは、現象の肯定非肯定を超えた相互の、根源的、超神の愛の実践が必要なのだ!

芸術というコミュニズム。

 言葉とは企業或いは社員である。色ある形とは企業或いは社員である。形とは企業或いは社員である。音とは企業で或いは社員である。役者とは企業或いは社員である。踊り手とは企業或いは社員である。そして直下型地震とはアンチ・アンチコミュニストである。反自然のこの社会という破調を覆すところの。

2008年1月14日 (月)

粗忽神始末記。(存在歌舞伎)

 オメエハカミトイッテモ、ショセンショセン、ソノテイドノカミダモンナー (超神屋(こえがみや)!)

2008年1月13日 (日)

文化の理想。

 瞬時に、その後にその星の神と時間を超えた対決になる可能性、をも引き受けること。超神屋(こえがみや)

The postman rings the bell

twice. Why was it twice ?

超神定立。

 神以下私達は時に、内なる超神を分離外化して超越者として拝みます。また時にその超神と一体化して、御互いを超神として拝み合います。そして神は自分の前で悪魔化している者達を、自分が現には少しも超神でないことを如実に示してくれる彼等自体が超神の遣いであるとして心から手を合わせて拝みます。神でない私達は、神がそのような神である限りにおいて、彼に手を合わせて拝みます。そして彼に支えられて同じく彼等魔の勢力を拝んで彼等を救済に向かいます。

超神失格の神。

 超神失格の神の下の、同じくまだ増しでも超神失格の天使達の下の、同じくもっと増しでも超神失格の普通人の下の、放置されて人間失格している太宰治が最も超神合格していて、偉い存在である。我等は喪失した物が夥しくかつ他に放置されている者ほど、惨めな喪失体験の只中で超神合格している。より以下の者は、その喪失体験を分かち合って貰って彼等に奉仕して、辛うじて超神失格を免れて行く。「金閣焼亡」で狂人を悪人として切り捨て、自らの超神失格を露にした小林秀雄は、同じ時に太宰とは別様に人間失格し然るが故に超神合格している三島由紀夫と、情況に働いた見えない超神力により対談を促された(強いられた?)のであった・・・。大事なことは皆が、より以下の内容の者に、超神失格者で済みませんと言うことだ!

2008年1月12日 (土)

思いつき

 詩と経済の対位法ということだったが何時も無調となった。 悲しみとは自分、とも語れない砂利のような民衆がいた。 水色とは約束だ。 愛とは文学だ。 御前はもっと溶鉱炉のようだったと泣いている者がいるので。 

勝とうとする碁士は

決して碁の神にはなれない。碁の神は相手を見て自在に引き分けられ、しかもそれだから勝つ必要がある時には何時でも勝てるのだから。勝つことより相手と自在に引き分けることの方がより困難なことなのだ。

私達は劇作家にして

役者であって、その劇の隅々まで実は既に知悉していて愛しんでいる。そして役者が隠された筋書きを自覚するとは、彼が内から衝き上げられて神よりも純粋になることなのだ、例えば彼の自決作家のように。こうしてこの世界の一切の悲劇は同時に喜劇だったのだ!

マユ。

 ソリマユ、一休マユ、団子マユ、・・・。次に、マユアリ、マユナシ、マユ?、マユ?、マユ?・・・。こうしてこの星の神が、我々を、アリとナシしかない超存在領域に押し込めた存在論的ファシストであることが判明したであろう。一回御互い、思っきり嫌い合って(だからマユのアリナシもそれぞれにして)その先を見てみたいよな!

ズリサゲ。

 気に喰わない御行儀好きのこの星の神に洗脳された親や教師達がキチンとはいているのでしたくなった。でもまだ彼等と同じくズボンはいてるジャン、この際、下半身スッポッポンまでどう?

汝の敵を愛せよ。

 自分が敵にしてしまっていないかを省み、敵である者のその辛さを思いやり、この星のこれまでの主神以下、一切の善霊が、この星の魔の勢力以下、一切の悪霊に対して。 勝っても魂は空しい。そうじゃないかい、トヨタ自動車。 多くの自治体首長の代理で、ヤクザ達との手打ちを取り持ってやってもいいぞ。 自分と違って大変そうなので、御免と言うと本当にその大変さが分って来る。 能無し校長(主神)、ベンチャラ教頭(副神・小川衰法・不幸の非科学主宰)以下、造反教師群(ルシファー以下魔の勢力・・・帝国主義者、スターリ二スト)、潰し得意がやっと悟って、部下にも生徒にも頭を下げる!

2008年1月11日 (金)

思いつき

 男皆が女やオカマに手を合わせれば、真の男女同権やオカマの男への改善ということも実現出来た。 天は孔子を遥かに霊的に上回って、匹夫の利己的な生存の志も奪ったのだ。 超朱子学、理一元論、理=絶対精神が、気=質料(霊質、物質)も作る。 経済のイメージを美にと、芸術家の発達は、イエスのような宗教家、マルクスのような革命家だ。 理論は実践するものと同じ生活条件を想定せよ。 野球その他は生まれつき皆に受けが良いスポーツで済みません、と。 百姓・漁師・鉱山油田労働者・建設労働者・工場労働者・・・、労働好きのどうにもこの星の神とばかり言ってないで、構成を他を犠牲にすることの無く共産主義的に公正にして、一生懸命働くのが結局、身のためだぞ。 

今日も自分ばっかり全知全能

その他絶対理想なのに、そうでない貴方達にその自分との差額分、差異分の御奉仕十分でなく、この星をこんな有様してしまったことを心から謝っている(恐らくは)この星の主神の御言葉を御伝え致します。

2008年1月10日 (木)

市場での利己的な企業行動は、

利己的であるが故にやはり恐らく善とはならないし、永続的な経済発展には繋がらない。不断に互いに寡占均衡を求め続けること(完全競争的効率と、独占的規模の利益とがバランスしてのラヴミドルな)が恐らく善となる。マイクロソフトは自主的に(行政の促しを待たずに、つまり企業のアクセル(営利行動)・ブレーキ(公共心)の一元化ということで)寡占企業群へと自己分割すべきだ。また乱立企業群は自主的に相当数に再編されるべきだ。神も新しい年の、今年もまた巡って来た孤独な春闘を闘い続けるだろう。

受益者負担をせよ=盗むなかれ!

 公共物の対価を払わない者、或いは有り余る商品製造の労働負担をしない者は、盗む者であり、或いは人を半殺しにする者あり、或いは人の普通の妻帯の可能性を奪って実質、人の妻を寝取る者だからである。富士の山神その他そして国土神より、そしてあの世を(そしてあの世からこの世を)統べる日本史の神より。

根本の、神も、仏も、天も、

 魔の勢力その他、自分に非なる者達に、自分ばっかり全知全能で相済みません、と。地球魔の勢力救済根本神仏天教=ラヴミドル教=超ツアラトストラ教=超キリスト教=超イスラム教=超仏教=超儒教!!!!

2008年1月 9日 (水)

某大学哲学精神へ。

 唯物論ではない。唯仏論だ。仏と、物質という仏の粒子と、人間その他という退行仏と。国土が、仏を物としか思わない、君達も含めた退行仏に覆われたので、君達の側近くを仏があのようにブッタのだった。さらにまた・・・ 西田幾多郎はアリストテレスの、内村鑑三は旧約のエレミアの、・・・と開示された。こうして近代日本は、この星の神仏天から選ばれていたのに、甲斐の無いことであった。 但し、退行仏の煩悩の発達こそは、ヘーゲルの理解と違って、仏への方便として我等を無限に超越する仏よりも彼岸(或いは同時に我等の内に無限に内在する仏のさらなる此岸)から来る。超仏の狡智。つまり、より根本的には、唯超仏論、だ!

2008年1月 8日 (火)

思いつき

 神も絶対的権威ではないこの星で、それぞれ私賞の創設は自由だ。 地上生命の死まで、否、魂の死まで、自分よりもの不具者には頭を下げよ。その辛さは俄には分からない筈だ。 厄介者の厄介が貴方を成長させる。 神が泣いて謝るまでなどと言っている・・・ 自分達が自分達を恨む者達を作り上げているのに気付けなかった・・・ 師に反って頭を下げて貰う。それを既に納得している神を先に拝んでいて、彼にその態度を真似て貰うのだ。 市長は別れ話が下手だったんだろう。 ゴサッタドン、何時か両極端のスーパーゴッド同士の極限のエッチを。 つまり私達一人一人には、深い井戸のような愛が秘められているのだ。 そしてその愛によって、時空の果てまでも、今此処に牽引出来ることだろう。

2008年1月 7日 (月)

御前のためだ、と撃っても

決して彼等に寄りが戻らなかったように、御前達のためだ、と何度ブチつけても同じく、決して彼と彼等達との間に寄りは戻らないであろう。自分達に他を差別することを不可避にしてしまう者を蔑みつつ美酒を愛でるのが、日々の慣わしとなった者達と。こうして中也のように死に切れなかった小林秀雄の人生も、惨めな余生ということになった。勲章は戴いたものの。 ヴィリエ=ド=リラダンも、本邦某女流詩人の撰になる庶民の日々の詩を読んで己の詩業を考え直すのも良い。私達が一人一人、己の誠実のままに、この大宇宙全体をも癌化し得るポリープたり得ることを、存在する愛しき神と共に、何度も何度も納得するために。

、 

超阿弥陀仏より

仏・天上人へ。貴方達の文学の一切が、地獄の底に常住を決意して営む者のそれから、次元を絶して卑しい。その常住に耐え得なかった三島由紀夫が髣髴しているところの。さような不純者ばらも超往生させて来た私ではあるが(その通り、自分の存在が無にされる苦痛は免れて来たであろう)、薬あるとて唯唯、仏の御利益期待の不純という毒を何時までも好むな!

2008年1月 6日 (日)

理論。

 ドストエフスキーが焼かれたホームレスを愛して、大江健三郎となる。ドストエフスキーが撃ったヤクザを愛して、三島由紀夫となる。文学は、そのままでは書かれ得ざる他の実存の情状を、彼を深く深く愛して書いて、この時代、革命への使命を果たせ!

美は美であることにより

歴史社会にコミュニズムを求めている。世界の心ある人間は、この絶対当為のの前に集結せよ!

不思議な無意識。

 居眠りに、井伊直弼の彦根城の春の優しい光景だ。冬来たりなば、春遠からじ。此れからは、もっと寒くはなっても、日は長くなるばかりだ。そして憎しみ来たりても、愛遠からじだ!

糸井さんに、小さいビニ袋入りの

菓子を貰った。この時代の貴重な好い気持ちなので、名札を付けて置いた。

パンダ、カワイイとか、

ヘビ、キモチワルイとか、そんな人間ばっかし、此れからは止めにして貰いたい。ソイツにゴメンと言うと、不思議にカンカクが変わる。ソイツにタイヘンと言うと、不思議にカンカクが変わる。

美憲その他の桃色人間は、

彼・大川隆法のところに行って、彼が自分たちより苦労して生きていると思えたら、彼を拝んで彼のことを世界に広く伝えなさい。そうでなかったら、彼こそ自分達を拝んで、人生、出直しをしなさいと言いなさい。

一度も殺されないで

帰ってきたことが自慢な某救世主よ。それだからと言って、ヘリコプターで密に国外逃亡なんて、感覚が一時代前でダサイんじゃない。それに監視衛星がグルグル回っている御時勢に。それに身の安全を守る理性ばっかりを発達させてもねえ。それに殺すのは言うことを聞かない人間ばかりだろうか。それに人間は自体この時代この星で、御互いに、殺されるつもり或いは殺すつもり位でで生きている。人間はそれに、まるでサラリーマンみたいな救世営業の、実績材料ではない筈だ。そんなこんなで、要はもっと人間に心熱くなってね。

2008年1月 5日 (土)

鹿鳴館。

 小説は、否、芸術は、常に対象と作者との合作だ。この作品に、感じる者は疎外されてある作者の悲しみを感じ取って、その途端にこの作品への愛しさに駆られることであろう。

信者に

内容歪んで生活厳しい現在社会でその社会に効能のない教えを説いて働かせそして金を召し上げ、自分は某都市(はっきり言って宇都宮市)に館を設え奥の院に納まり毎日社会を傍観中の某教団教祖にして(はっきり言って不幸の非科学・小川衰法)この星のこれまでの副神と思しき者に、これまでに酷い被害を受けたと思う人類中の者は集って、この星のために、彼へ向けて吉良邸討ち入りのごときことを挙行して頂きたく、ここに宜しく御願い申し上げます。因みに彼が待ち望んでいる主神の天変地異行使の(最もそれは今回は彼にまで及ぶかも知れない)、大声での暫時の差し止め要求も御忘れなきよう。

思いつき

 この星の神が最早、神でない者に頭を下げているから、世の中の皆も生まれて来た非普通人に頭を下げるんだ。 自分が相手より何らか内容上回っている時に反って相手に(だから折々、相互に)頭を下げるのが大事だ。 政治的、経済的、文化的将軍様達も。 究極、アダムとイヴは、無償に、神と違う創世願望(あの園と形違う、山川の形違う、生き物違う、・・・なんてこの程度ではまだ生易しいであろう)を持つ者らしいから。 それぞれ自分を自分に即してラヴミドルに調えて。或いは人間の追究をバランス良く。 そして一人は、神の存在に捉われることなく、星の全体を愛し、或いは自分という者への他者の絶対的な愛を期待して孤独に、霊的に無限に遠くへ疾走して去る可能性でもあろうから。  

 

貴族が人力車を引かせる、

経済上の原理的な差別が不善とされる。違背者は死後、対応の責め苦だ。 国内のエリートとヤクザとの関係は、国外の日本と北朝鮮との関係だ。 北朝鮮では民衆が飢えても決して革命は起きなかった(某思想家の革命理論の錯誤)。想像を絶する政治的強圧。 社会全体への戒、或いは社会生活を基本的に営めという戒も、この星にはあるのだ。 国家社会生活弛緩は、所謂間接侵略の危険を発生させ、御注意だ。 政治家は何時も、太陽や、富士山や、震災大地に包み込まれていることを思え!

次の瞬間、

何も変わってねー、でここまで来てしまった者達、次の瞬間に変わって貰えたら君達も宜しくね。 愛には愛が、害には害が返る。 予算泥棒分、この際一気に強制徴収に掛けて後で清算したら。 自分神への反抗ということが、統治者自分の苦労以上の苦労だという肝心要なこと、が何時までも悟れなかった神。 この星のファシスト神からの、(この星では神によって、無、存在、だけに限定されている)一人一人の超存在領域(無、存在、非(無、存在)、非(無、存在、非(無、存在))、・・・)選択の自由までの獲得の、リベラシオンは無限に遠いがしかし・・・ 男女同権とは、男が女に、その女らしさのままへ頭を下げることだ。 たった一人の生まれて来た非普通人のために他の全員がその人生を捧げ尽くすのが当たり前の星へ。 カール=マルクスを初め唯物論者は、死後暗い中で、皆、オシマイダ、オシマイダ、と言っている無意識界というところに連れて行かれている。   

責め苦。

 経済的不法(神法準拠で)利得者には生前に償わねば、その利得相当の労働負担対応に懲罰分を加えたあの世での責め苦が待っている。それでも悪かった言わねば、さらに相当の責め苦が加えられてそれでも聞かないなら、到達した反抗者として放置される。つまり、神も一度存在させた魂を無にすることは最早出来ないのである。

仏教・儒教の政治的無力性。

 例えば、我が日本のあの乱れた戦国時代に、当邦の仏教者や儒教者は一体何処で何をなさっていたのであろうか。一方、あの滅ぼされた謙信や、信玄が情けの分かる人格者としてそれら宗教から評価されたりしているのである。また一方、天下統一に道筋をつけた信長、秀吉、家康がそのような人格者であったとは思えない。また、江戸時代の儒教の隆盛も現実政治が今言ったようなそれら宗教の言う人格とは無縁な政治家の力で安定したが故の出来た学者の道楽と言った方が良い位なのである(現代日本でも横行しているところの)。こうして東洋総帥の両頭の地域宗教と思しき仏教も儒教も現実政治には殆ど無効で(政治に悪が跋扈しやすいのに、彼等の説く善が隣在する悪にどう対処すべきか殆ど説かれていない)この東洋に連綿たる悪政史を連ねさせてしまったのである。我が宗教はその過去の反省から立ち上げられる。因みに、我が宗教が主題とする超大魔王ルシファーは、その昔(一億二千万年前)この地上に政治家として生まれ出てこの地上からこの星の自分が日頃から不満があった神(直接は直属上司の副副神エンリル)に成り代わりこの星を仕切らんとする暴挙(壮挙?この当日本史の信長も真っ青の)に出て、討伐の手に掛かって以来なのである。

2008年1月 4日 (金)

哲学はアサリを枯渇させる

などしている漁師達に、彼等と同じ重労働(但し精神の)で、道徳を欠いた漁の海神の叱りを蒙る所以を分かり易く説け!

思いつき

 苦しみ、悩みの魂の現場で苦労する人間に頭を下げる神を。 怠ける人間が悪いのか、神が悪いのか?しかし神はあの通りことをした。 有名人は我が思想により、そのファミリィーの隅々までの人間尊重を宜しく御願い致します。 パブリック・プライベートの区別の程度が、コミュニズムの程度ということだ、それだから現今はそれはもう生活し辛いよなあ。

魂は超神でなければ、

自分より劣った者が、自分を、自分という魂を無にしたい位に苦しめて返さねば、自分が馬鹿にしたその者が自分より反って偉い存在であった(魂は常に感情し続ける存在で決して単なる品物ではないから)ことに中々気付けない。この星では負けるはずのない神が、無自覚に彼が馬鹿にした者達に、次第次第に負けつつあるのだ。それだから負けないスカーレットも、負けないレッドも、共にそうでない例えばアシュレイのような者の身になる(彼が何時か君達に報いてい返さないうちに、そして君達にとって中々難しいことであろうが)努力をしてみよう。そうすれば君達が、深く本当に誰を愛していたか良く分かることだろう。

2008年1月 3日 (木)

Kissが返る!

 よーく自分の方を反省してあげると、そしてよーく相手を分かってあげると。地球はやっとそれに気付いた。彼等も瞬時に全てを許して、心を入れ替えてくれるかもね?

某党の除名耐性党員の

この国を思っての辛抱強いT的金権遺伝子組み換えの程、今年こそ宜しく御願い申し上げます。

選び取られた一語は

大宇宙創造神すらの彼岸からやって来る。彼がこの地球の神を、我等の心を十分満たす神にはしなかったからである!

超神も、神も

無限数の兎を追っている。この人間とっては不可能なようなことも、不可能と言っていられらない有能政治家不在(神と積りが全く違うので)の限界状況では、超神、神への他力を頼めば、臨時的に可能になる。

2008年1月 2日 (水)

・・・ どうしてこんなに働いたのに ・・・

 神よ、この人にも答えよ!

理念として文化。

 私の信ずる神は、一切史上の現実の文化作品(但し神に信仰ある)を理念としての文化作品に組み替えて上げられる神だ。さらに超神ならば一切作品をそう出来るし、一方、私の信ずる神はその超神に肉薄せんとする神だ。全世界の文化人は(さらには非文化人も)、この、神の理念としての文化史(さらには理念としての全史)を紐解いて、未来への出発、どう?

さだまさしさん、

人間は能力より普通の気質であることの方が優先だと思う、自分のことを棚に上げて貴方を嫌いだと言っている、この時代何故か何時の間にか紛れ込んだ非・哺乳類タモリじゃないけれども。で、自分の神は何事も自分より劣っている人間の方を先ず自分が拝む神だ!

自分を誤魔化す者は

神ですら彼等に何も言う資格はない。その誤魔化すことの苦痛を、神の報いる地獄の責め苦より辛いと考えた彼等に。彼等が神以下が、自らその魂の臭気を払拭する努力を始めるのを待っていると言っている。

寂しさは

私達が本質的に流離の者だからだ。語りは、誰も、何時も、貴種流離譚だ。求めて与えられず、求める者に与えられず。

2008年1月 1日 (火)

糸井さん、この星では

神様自体がダセーんだぜ、アンタコレカラドウスル?会社員、公務員、オメエガゼンブヤレヨ、ってか?

正しいことを行う者が

殺される積りでは仕方が無いであろう。またそんな積りでは間に合わないことがそれ以前に神によって示されていた訳である。無論神は、自ら悔い改めれば何もしない。

あけましておめでとう。

今年こそ、某教団その他も、日本国民も、世界人民も、心の悔い改めの程宜しく御願い致します。

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