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2007年8月 8日 (水)

一日にしてならず。

 心と体は別物だ。母の胎内に生まれ出た幼児の体にあの世から心が宿る(だから、オカマのような心と体の矛盾も起こる)。また心は自然には、遊び暮らしたい願望を持つ者も多いし、幼児期には現実にそれが全員的に許される。然るに体は、心が体のために体を動かして食糧を獲得してあげねば、すぐに死に瀕する危機状況の下で、労働を、しかも基本的には集団的労働(その方が、食糧獲得が確実になるので)が仕向けられ、社会生活が形成され、継続して(人それぞれが幼児として生まれてく前に)あることになっている。また青年期の異性への心身渾然一体のエロス的願望により、幼児を生み出さざるを得ない必然性も仕向けられている。こうして個人は、社会の身体生命の全体の維持・充実のための労働へと不可避的に仕向けられて、その経済活動の前提の自然運行を然らしめる労働者・神、同等のこの世界、この社会への奉仕労働者の心を培わされることになる。つまり個人は一生働いて、一生の時間をかけて、準神の心を獲得させられるのだ。またそれだから社会はそうやって長い時間をかけて(能力以上に)強い奉仕の心が培われてある長老が常にリーダーシップをとるべきだ。一方逆に、生まれてすぐ性質が悪い者として心無く疎外された者が時間をかけて、準悪魔の心を獲得してしまう筋道も同様によく理解出来るであろう。

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