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2007年6月 1日 (金)

(本来)超神として

深く愛し合うもの達は、刻々、自分の意識と他者の意識を交替させ合う。この星では神すらそれが出来なかったところの。 超神は、神の具有と神でない者の不具の体験の体験の矛盾的兼備、愛によってのみ可能な。それ故、神も神でない者も超神に向かって本来超神として、かつ既にかなりの程の超神(それぞれの具有と不具において)として愛し合う者として等価だ。 不具が具有に十分に愛されないと、逆具(逆のものの具わり)に発達する。具有がその逆のものを進んで共有する努力をせねば,その逆具は解消しない。(例えば、善の具有、善の不具(欠如)、悪の具有)。こうして、愛し合うことはこの星のように凄絶な悲劇となるが、悲劇の主人公は脇役(この時代のあの下生せる副神こそ、いい脇役ぶりだ。イエスマン教頭のような彼を彼等は全く問題にしていない。)を何時か同じく主人公にしてあげるべく、密に魂を燃え上がらせて深く深く充足し続けることになった!!

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