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2007年6月23日 (土)

偶さかに指を組めば、

まるでこの星を余り愛して、思わず戒めを破った、尼僧の乱舞のようだ。実は日々瞬間にこの美しさを結実させるために、日常の労働に耐え続ける。培った心がこうして美を発しさせるのだ。 カント、感覚を、その後の知的諸分析の前提の、対象の形や色を知覚することだけのように言っている(純粋理性批判)。芸術家が笑うべき、鈍感な哲学者一般の感覚観念。行き着いた芸術家は一つの石を見て、反射的に詩をものすようにほど感覚する。このようにこの地球では神と悪魔の善悪の分裂により、間に失格と離反ということが蔓延しているのだ。 鍛金作家が物質には確かに感情があると言った。つまり、人間と物質とは、魂の静・動のコントラストなのだ。今日は私も遠い昔を偲びながら、この部屋の一切のクウォーク達と一つの静かな者となろう。 感情は粘土をひたすら捏ねてその極まりの時にそれを作品とするだろう。そして「彼との一件」と名づける。 一つの物という宇宙の喩、一つの物を語るという神の喩、こうしてこれもフラクタルだ。 物をなした、形と色が息を止めた時・・・  「中原中也の思い出」 それはこの世界の方が不良だという真実、そのことなのかも知れない。   

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