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2007年6月19日 (火)

助平衆生と

衆生ホットケ仏弟子(そこで毎日何やってる?)をこのまま行ったらワンツービッグパンチでブツつもりなんだと、根本仏。 この地上では哲学者の意識を、哲学者の分まで余分に生産させる生産制度に盲従する生産大衆のる意識が成立させている。カール=マルクスが恩知らずの哲学者どもを撃て、と呼ばわった由縁だ。 非神として行く行くは、意識即存在、ということにすら非ずを立てる。非意識、かつ、非存在として。 儀式より、思想が大事の宗教。 それぞれ神でない者の直接意識が、神との間にもそれぞれの間にも、常時、恍惚=自他未分の刹那、ということを実現出来れば、それが自分だけでは出来ずに来た神の意識内容を上回って、本来超神の意識の中核が蘇る。 神に対して内罰的である者と、外罰的である者と。 善から悪へ、そして超善へ。対応して有調、無調、超有調。具体、抽象、超具体。写実,デフォルメ、超写実。 有限時間に或いは刹那に、無限に行き着くことは可能か? 究極の超越は、究極に内在することだろう。逆も然らしめて。

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