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2007年4月23日 (月)

思いつき

 体が心に食糧の獲得を要求している、また食糧が足りても心に体を使っての活動を要求してすらいる。何者かの仕向けのように。それを素直の受け容れられない心はどうしたらいいのだろうか?此れもこの星の神の下での、その他神でない者=本来超神の悲劇なのだ。 態度の悪い神には、誰も「超!」と自分に気合を入れて抗議してみよう。歯を剥き出しての反抗者になる前に。 誰も、それが歴史社会に不可欠の百姓や漁師を進んでやりたい奴はいない。本来建前としてはそれらと等価労働で交換をしなければならない他の職業にしても。現実には他の職業の者がうまくやって、軽労働の不当価交換を実現してしまっているはずだ。此れでは百姓や漁師ばかりがいい面の皮だ。(因みに今日本遠洋漁業は、例えば自分達の替わりにインドネシアの傭船員を低賃金でどんどん使うようなことをしている) こうして、神も、神ででない者も本来超神等価と思いなさざるを得ないのであり、社会の成年層と、弱年層も全く同じように存在等価に思いなされなければならない。下の者は何時だって、下の者の弱みに付け込む上の者の一切世話にならずにやって行ける底力を秘めている。     

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