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2007年4月30日 (月)

具有と不具。

 神の内容を持つ者と、全く持たざる故の持てる者の想像を絶する体験感情を持つ者との間に散在する存在等価な者達が、それぞれの持てる物を与え合うとき、往時の超神の愛の充足が蘇る(私達は往時、神であって同時に一切神でない者の体験感情を同時成立させて超神互いとして愛し合っていたのであって、その後に神と、多様な神でない者とをそれぞれに分与成立させて、相互の愛によって自己回復を図っているのだ)。イエスの処刑は、権力欲に身を衝き上げられる時の王ヘロデの、イエスには想像を絶する体験感情の行為的告知としてのイエスへの愛、やはり本来は超神のヘロデの超神の愛だ!!

保護観察処分中の歴史社会へ。

 どうかこれからでも神の仰ることを素直に聞き入れて(寧ろ彼の至らぬところを赦して上げる気持ちで)、キリスト教徒御待ち兼ねの、神の歴史社会への刑の大執行を免れて下さいますよう、此処に心から御願い申し上げます。

不適合。

 この星の人間の大多数は自分のやりたいことをやらせて貰っていて満足している顔はしていない。この事実で持って誰しもが、このままのこの星で何を真面目に論じてみても空しいことを最早分かってほしい。

超アダム、超イヴ、超エデンの園。

 神と被造事物の一切が、本来の超神互いとして、超神の在処で。神、エデンの園、アダム、イヴ、蛇、の区別は仮象だ!!

超阿弥陀仏。

 強い慈悲(=愛)は、一切被造事物を霊魂化する。そして超阿弥陀仏は、霊魂化した一切被造事物の一切の非仏(=非神)を、それの他への償いを肩代わりして赦し、またその非仏に一旦一体化して超仏(=超神)へと救済する、一切仏・一切非仏を内に同時成立させる無制約の慈悲仏だ!!

弱者は、

周囲が悪いと、非強化の継続(太宰的)、敵対的強化(三島的)の、どちらかの必然的悪霊化の道筋をたどることになる。周囲の酷さで、誰しもの本来の、他への愛の志向を奪われた者達だ。この悪霊化は、周囲が自分達の酷さを認めて頭を下げるまでむしろ当人の表面の意志を超えて継続されるしかない。つまり彼等はその時、何時の間にか神の造りし世界の欠陥を指弾する、光栄ある超神の使徒となってしまうのだから!

2007年4月29日 (日)

思いつき

 無暗に世の中に快楽を蔓延させた企業の責任は重いぞ。 豊かな生活の意識と貧しいし生活の意識との同時成立。 この星を善くする者として、魂の内容に関らず価値等価だ。 心は体のために。食糧を。性心理の適合を。風呂で体を良く洗ってやり。ために、ために、ために・・・、と。分りました。 神でない者の普遍性として、より優れている者に意地を見せてやること。 背いた天使達がいる。彼等に唆された反抗的な人間達がいる。 技術者がモラルが高いと、技術開発が全く様変わりする。 何月何日の「あ」達。(口の中の石の造形)。小説家はその石達に感じて短編集を編むだろう。だから体のためと一気に仕向けているこの星の神は実は投票したくない。 誰とも、どんな場合も引き分ける。だから悪とも、俺たち善の方もこの辺がまだまだ究極にまで発達していないと言って、だ。

そこに悪魔がいても、

彼を悪く言ってはならない。誰しも深いところでは他を愛したがっている。だからそれまでに自分がいた遠いところから彼へ時空を超えて自分の愛の力が及び得なかったことをこの際、彼に深く謝るのだ。そうすれば愛の心それ自体も犠牲に供して彼に一旦一体化するという、究極の犠牲の愛すらも内から喚起されることだろう!!

超神=存在の劇=

俳優と観客の同時成立=日本的ニーチェ主義者、三島由紀夫の自決。 但し、日本民族神は弱者にも、弱国にも福祉心を、と求めているはずだ。弱者切り捨ては、神の思想ではない。しかし三島がこのような三島になってしまったについて、この星の神々の責任もある、またいやしくも主神ならば、ニーチェも三島も切り捨てることなく、彼等の有様について自己反省して下さる筈だ!

2007年4月28日 (土)

尾崎もあいつと、あいつ等と同じように、

きっと純粋な奴だったんだ。純粋、なまじの神にも、天使にも難しいところの!!

根源因。

 天使に頭が下がらない神という存在論的エゴイスト、反作用としての不満を持った天使の悪魔化。それだからこの星の神がこれからやるべきことは唯一つ、彼等に頭を下げて彼等が長く喪失した愛の心を自己の深奥から恵むことだ。超神の運命力が、神も、神でない者も、この星をも貫く!!

芝居を人生にするか、

人生を芝居にするか、それがきっと大問題だ。 超神失格(存在して済みません)。私達の本箱には既に福音書がこう改題されて、人間の心を少しも掴めない哀れな者の手記として片隅に置かれてある。 神よ、私達は屹立する男根と、屈曲する陰唇との周りに、あの数・空間表で拡大可能な空間が考えられるだけの非男根と、非陰唇と、それに対応する、非男性、非女性を考案創出して、自主的に無限に拡大された性体験(性の精神体験、性行為体験)を楽しむつもりです。最早それ以外の何の興味がない訳なので。 かくして私の精神は本来の超神を表して、神・非神、信仰・非信仰の間を不断に往還する、空前の乱脈交流の精神だ!! 

クウォークと一緒に

失ったものを悲しむ夢だった。テネシ―ワルツ、私達は本当の自分を探したいが余り、神とすら別れることもする。しかしその通りそれ位だから、今すぐ一切は大いなる者の大いなる劇だと、大高笑してもいいのだ。本当の私達は悲しみも喜悦も同時成立させられる者達なのだから!

2007年4月27日 (金)

思いつき。

 あれ以来、職業革命家(世界同時、信仰革命、自由共産主義革命)が神によって求められているのだが、志す者は少ない。職業になるほどの資金還流も無い。しかし神の方にも、ままならぬ人間達に十分な理解が無いと反発が大きい。 優越感と劣等感の同時成立。 漱石は知識的に非対称な奥方に還元して、逆に物質生活の知恵を還元して貰うこと、此れによって超天に即する、夫婦生活の新生が可能だったのだ。 どんなつもりで人生をやっているかは人それぞれだし、それに従い格差が言われるこの御時勢で人生の格差というものもある。  

2007年4月26日 (木)

昨日何やった?と聞かれて、

花見に行ったとポンと応えて終わりにするのが男で、朝の空模様から事細かにに語り始めるのが女だ。私は中間だ。 個人の人生の責任とは愛の責任だ。自己規律することと、他者に望ましく関与することがバランスよく結合しているところの。非普通人が生まれて来るくる、本人の自己規律の責任の問題より、周囲のその者の関与の責任の問題の方が大だ。つまりその非普通人を種にして、彼に引け目を感じさせない福祉心を培ってくれということだ、だから非普通人に周囲が先ず感謝すべきだ。 形、上の者の下の者へ(例えば親子)の、実質、その上下を逆に考えての奉仕に、下の者が向上する者として応える。恋愛も子供の買い食いのようなものではネー。本当に御互いのためになるかと・・・。 あの世と、この世の自然と社会とその間の循環・関与・原理の貫流というのが、この世界の基本結構だ。 

黄金週間に、

私達の文明社会生活(都市生活・田園生活)に嫁入りしていてオシンのように辛抱している、私達の生活直下の自然を端くれ(空き地の草でもいい、小動物でもいい)を、郊外、村外の自然へと里帰りさせよう。私達が生活を始める前はそれはその生活の外の山よりの自然(あるいは海よりの自然)と繋がって一体の平地の自然だったのであり、私達の生活に犠牲になってより深く組み合っている自然であるからである。また何時までも黙って私達にやられるなりになっているものでもないからである。

非神。

 神と、一切の認識の抽象水準において非同一、かつ御互いにも同じく非同一であるもの。不可避的に超存在性(存在と無以外)、超意識性(意識以外)を持つ。尚、超存在性に対応した超認識性(肯定、否定以外)、或いは超時空性(時間形式、空間形式以外) 、超価値性(真・善・美以外)、超感覚性(五感以外)も考えられる。そして、神とその自然係累の超神への跳躍的発展を媒介するもの。この狭義の非神を超えた広義の非神の観想の総体の中に、この星の魔の勢力の反抗のようなものが点景として観える!

2007年4月25日 (水)

究極の性神。

 原理=超神は、一切現象(神までも)に本質的に優位するものとして、男が女に催すように究極のエロスを発現することであろう。悪魔にあまり催したとは自分には思えぬこの星の神からは遥かに遠いところの。振動とその果ての恍惚は、一切への折々の脱自の促しと究極の到達を喩して何時もそのことを無自覚に儀式化して来た。かつ、一切実存が一切実存に対して自分を原理=超神に擬して営めるところのものだ。また無意識に願望される降罰ということも、超神=究極の性神に根拠する、極端なマゾヒズムとサディズムの交錯とも解釈出来る。かくして情動の半端でない新しい共産主義者達が、隣在する帝国主義者=政治経済的サディストどもの心をもよく落すことが出来るであろう。

愛は

その時々に辛いがこれがタメだ、と言って。 だから言うことを聞かない悪人を潰す時も彼等に大声でゴメンナ、と謝って。 そんなこんなで、この星の皆に先ず自分が懺悔する神を。 そうすれば一切魂が今すぐ、深い、本来超神の繋がりが持てる。 行く行くは相手に頭を下げて理解させて貰う。とりあえずは相手の理解のためのこちらの自助努力をする。御互いの分離も、遠い昔の自分達からの喪失なのだから。 人の悲惨を放置することは、人を悲惨に陥れることと大して変わりない。 あの世のガイダンスには経済的価値がある、あの世の責め苦とはこの世のそれぞれの務めとしての労働=正当な経済活動の怠りとほぼ対応するのだから。人を犠牲にしての金持ちには怠った分のぺナルティ付きの責め苦が待っている。 歪み過ぎず、調い過ぎずの人格を。 行く行くは、社会は物質的功利生産から文化生産へ。 殺すなかれ。それは愛し合って御互いの本来の一体に相にある者達を無残にも引き裂くことだから。しかしこの星は全体が既に無残に引き裂かれていて、一番引き裂かれてある者達が、他から命省みぬ愛を求めっているとも言えるのだが・・・。 超神=神以上の原理が、この星に試練を与える。逆に本来超神である我々は、進んで試練を求める!              

2007年4月24日 (火)

超神。

 絶対愛による。神と一切の神でない者との同時成立。それだから、一切の者から等距離であり、存在と無以外の(存在して同時に無いというような)未知の超存在性の乱舞する領域に超出して。 福音と文学、聖書と三島由紀夫集との対立・緊張の向こうに、超聖書が浮かび上がる。 全体的慕情と自己中心的不安との同時成立。 超神は無論、一切のあるがままを受け容れる。それだから生まれて来た非普通人に、まず周りの普通人が忍耐してそのまんまでいいと言うべきだ。 

思いつき

 階級社会では、料理すら階級的に分裂して神の認める本来の料理と言えるものは一つもなく、誰彼のことではないけれど、世界一流のコックなどと言っても空しいことであった。また一切の食生活が空しいことであった。 文化は経済の時代には、経済の生産性を全体的、個々的に鼓舞するものであれ。それは生産活動における道徳とそれを超えた隣人愛の鼓舞であるもの、或いは望ましい、労働の慰藉であるものということになる。 自分ののこの時代の一回の人生をその価値がそのまま歴史の始まりと終わりに同通するほどの超時間的なものとしたいのなら、歴史の新エデンの園計画の途絶を回避すべくの帝国主義を救済しつつの国際自由共産主義運動への挺身ということになる(いやそれは何時の時代もそうあるべきだ)。 このインターナショナルこそ可能・不可能を超えた絶対必要事であって、信ずる神が支援して不可能も可能してくれるであろう!

生活が

人間を超えた者によって仕向けられていることが絶対だ。それは結局、精神が自己身体のために苦労する(精神は、自然的には自己身体のための食糧獲得へ向う苦労を必ずしも欲しない)さらには生活の安定、充実のための不可避的な分業の故の他者のためにも苦労することになることにより、他のためのする精神=愛の精神の培いの仕向けだ。但しそれだから、分業社会は階級社会ではなく共産社会でなければならない。こうして、先ず経済の時代が先ず愛の精神を培いながら着々発展して、主に人類が文化活動をする文化の時代へと緩やかに反転させて終には歴史社会に愛と創造の精神を完成する、神の世界計画としての新エデンの園計画の展開だ!

2007年4月23日 (月)

思いつき

 一番悪くなっている奴を思うこと。 普通の人達は普通でない人達に頭を下げよ。 教育は一方的に教えることが実相ではない。実相は教え合い、愛し合うことだ。 わざわざ人が差別待遇を受けに生まれて来るような社会はおかしい。 人の子供までが可愛くなるような連帯感のある社会だ。 種籾だけでなく我が詩によって、とその詩によって日照を保障、それだから食糧生産の全きを保障するよう強い詩だ。 何かしたい、したい、欲しい、欲しいと思う時に、寧ろ超神に自己回復して行く者に相応しい正しき心を求める、のだ。 

今、NHKの昼プレで

 漁業労働者と、俳優とアナウンサーとが共に働いていて、その労働負担が著しく不公平ということになっている。もしかして後者二人の方が給料が高いのだったら、この社会は一体どうなっしまっているのだろうか?一般に先進国と途上国とで・・・

毛沢東の文化評価。

 人間が人間を犠牲にして安楽な暮らしをして、その安楽な暮らしがあんまりいいと言っている。その犠牲を神が肩代わりをすれば、皆安楽な暮らしが出来る筈だ。こう考えて私の心は次第に次第に虚無感が満ちる。まあしかし、この星の神にすぐに変わって貰うことも出来まいから、皆、鋭意、神の許さぬ犠牲の構造を解消して行こう。ということで神の求めは、寧ろその社会の能力者が然らざる者達に進んで頭を下げて奉仕するような共産主義社会であるから、文化もその原理から外れた社会対応のものであれば低評価とならざるを得ないのである。近代ヨーロッパの音楽、所謂クラシックは対応する社会が階級社会で、かつその時代の音楽家がその階級社会性に十分自覚的でなかった以上、自分の属する社会の構成的正当性(エリート支配の)、安定性を作曲家が無意識に虚構して、そこに表現される楽曲にはのっぺり平板な社会感覚しか表現されておらず、上下区別ない連帯が実現されてある共産主義的交響とは程遠いものとなっている。深い感動を求める者を落胆させる音が人間存在を掴むことの浅さなのである。究極の音楽は、人間の内容差異を超えて、御互いの本来性であるところの超神を掴み取る。そしてそれが可能であるには、社会構成を共産主義化することが不可欠の前提なのである。中国経済をあのように疲弊させてしまった毛沢東ではあるが、推測される彼の文化革命の思想骨子は、恐らく私もかなり肯定出来るところであろう。文化大革命は継受され、かつ継続されねばならないのだ!

新・新日曜美術館を望む。

 (神の人間社会への共産主義的生活物資・用役生産労働の求めを肯定するという前提で)安井さん、本当の人間と深い交流している自然とは都市の空き地の名もない雑草が垣間見せているものなのだ。つまり都市生活と自分を犠牲に供するまでに組み合っている自然が、そして都市生活の波動を刻々感じ取っている自然が。史上の全画家が錯覚したところを貴方もなぞってしまっている。だから、現代の世界的に有名な某アニメ作家も錯覚した。自分の経済生活を御粗末なこととして、都市外の自然に向かう者は、終に自然心の本懐を掴むことは出来ない。こうして、史上あらゆる芸術家に自分の本懐を決して掴んでもらえず歴史をかくまでに至らせてしまった都市下の自然が、深い慙愧の念と共に歴史の終末を齎すべくの念発動が予定されているのである。しかしあくまで、諦めぬ者の努力によって歴史の回生が成し遂げられ、その後に真に価値ある絵画が展覧される新・新日曜美術館の実現を希求したい。

思いつき

 体が心に食糧の獲得を要求している、また食糧が足りても心に体を使っての活動を要求してすらいる。何者かの仕向けのように。それを素直の受け容れられない心はどうしたらいいのだろうか?此れもこの星の神の下での、その他神でない者=本来超神の悲劇なのだ。 態度の悪い神には、誰も「超!」と自分に気合を入れて抗議してみよう。歯を剥き出しての反抗者になる前に。 誰も、それが歴史社会に不可欠の百姓や漁師を進んでやりたい奴はいない。本来建前としてはそれらと等価労働で交換をしなければならない他の職業にしても。現実には他の職業の者がうまくやって、軽労働の不当価交換を実現してしまっているはずだ。此れでは百姓や漁師ばかりがいい面の皮だ。(因みに今日本遠洋漁業は、例えば自分達の替わりにインドネシアの傭船員を低賃金でどんどん使うようなことをしている) こうして、神も、神ででない者も本来超神等価と思いなさざるを得ないのであり、社会の成年層と、弱年層も全く同じように存在等価に思いなされなければならない。下の者は何時だって、下の者の弱みに付け込む上の者の一切世話にならずにやって行ける底力を秘めている。     

2007年4月22日 (日)

神心とは

当たり前の人間の親心の無限倍するものだ。日本人皆は、いや、地球人皆は、一人一人その神心を傷つける自分でないか省みてみよう。然るに神は、逆に人間一人一人を傷つけていた自分ではないかと自分の方がよく省みるとも言っている。

旅には金がかる。

 それだから気軽に世界旅行が出来る人は先進国でだって少ないはずだ。旅は基本的には、普通に営々経済活動をする者にそれを慰める余暇の快楽の一内容として認められるものである。金がある人だけが出来ることを皆に御勧めするような無責任な番組作りを、NHKは止めにして貰いたい。

私の信ずる神が

一切の神でない者に、有難いことで御座います(貴方がそこにいるから私は貴方を愛して満足することが出来る。)、済まないことで御座います(貴方がそこにそうして不自由でいるから、私がこうして自由自在ででいられる)、(そしてその不自由が)大変なんで御座いますよね、と頭を下げて呉れている。そうすると一人の神でない者の私は少しずつ、その愛による御支え有難いことで御座います、その愛による御支えに十分応えられずに済まないことで御座います、そしてその愛による御支え大変で御座いますねと、頭を下げて返したくなる。かくして一切魂は、御互いに一切の要素の一切の優劣に即して、上のように御互いに頭を下げて愛し合い、行く行くは神であること(神でない者の意識に対して、を除いての世界への全知全能)と、一切の神でない者の意識体験、及びそれに基づく彼等への能力、を同時成立させる本来の超神に自己回復して行こう。しかもその時々に、それぞれ未だ超神ではなくして、往時の超神同士の愛の充足は蘇る!

2007年4月21日 (土)

人間は死んでも

お終いにならない。例えば死刑になったら、この世の無期懲役以上の地獄の責め苦が待っている。該当者は、覚悟してみよう。

帝国主義者正機。

 ラヴミドル教=地球魔の勢力救済根本神仏天教で、国際自由共産主義者往生を遂ぐ、況や帝国主義者おや、超阿弥陀仏(神天)の超大慈悲の有難や!

暴力。

 神の歴史社会への暴力、国家の他国、他民族への暴力、そしてその国家に甘やかされた一般国民の暴力嫌い、その精神弛緩した一般社会へ付け込む暴力。かくして、一部勢力の暴力ばかり悪く言うのは議論の片手落ちなのである。遠い昔の、神の暴力の行使=関東大震災の後、国家は現在と同じように精神弛緩した国情をその後ファッショ的に統制しつつ、国家ぐるみの暴力の行使=戦争へ向かったはずである。同じ震災後の現在事態が、その昔と同型に推移するのかはともかく、この時代新たに産業内容を発達させての帝国主義の闘争へ移行して行かんとする時に、私の提唱する国際自由共産主義への国際的魁国家として、とりあえずの孤立を恐れることなく、然るが故に光栄ある国家針路を選択して下されますことを此処に深く祈念する次第です。予言では20世紀末を目途に歴史の断絶を決意していたと言われていて、実際には翻意した神のその再決意が猶予されている(恐らくこの半世紀ほどのことか)間に。 

苦しいが黴菌対策は

何時か耐性菌(しかも繁殖力も一際強い)を作って逆効果になってしまう抗生物質投与によらず、黴菌の遺伝子組み換えによって。世の、心ある人達は宜しく御願い致します。

2007年4月20日 (金)

思いつき

 その昔は、御互いに周り全体が無限に思ってくれる奴ばかりだったというのが真実なら、今誰にも思って貰えず孤独である者の、過激に悲惨であることを考えてみよう。 百、具わっているより、その百をを失って悲惨である魂の方が偉いのだ。それだからそれらが愛し合う時の愛は、一切の偉い、偉くない超えて、超偉いもの、つまり超神ということになる。  蟻は蟻の言葉をしゃべる。花は花の言葉をしゃべる。それだから生物の遺伝子研究は、生物の言葉をよく聞いてからにしよう。急にクマン蜂に、背中から刺されたりしないように。   

一番を目指す者は

反って一番にはなれない。ただひたすら他への愛に生きる者が、同時に一切の一番を占有していて神と呼ばれ、自分のような愛に生きる者を優先に、その者に属するいっさいのものを、自分神のように一番に高めててくれるからだ。一番を目指して競う者の向上は必ず行き詰まる。ただ自分の目標を地道に追求し、さらにそれより先に自分より劣った者を助ける者が神は最終的に自分と同じ一番にしてくれる。例えば松阪牛は現実の他の和牛に勝っても、決して神牛の味覚には行き着けないのである。

献身は、

この星の長年の悪魔稼業の者達のために、終には献身そのことの犠牲にまで行き着くべき(つまり自分も悪魔化すること)だ。その後に悪魔達と共に、この星に超献身する者として甦るために。放置され淋しくて、この星の一切魂、一切事物を悪一体化しようと企てている(例えば、ヒトラーだとか、原爆・水爆だとか)彼等に、他の一切の魂、一切の事物が、本来の超神ほどの心の熱さで愛を返して。彼等の魂行路のかような特異性を解消してあげるべく、またすぐに十分なことが出来ないことを、常に常にSorryと謝って。

貴方が誰かと

呼び合うものを確かめたら、それはその誰かに留まるものではない、行く行くは魂=本来超神、の全体に、しかも無限に深く行き着くものだ。そしてそれだからその便としての、国際自由共産主義だ!

その昔我々は皆、

分け隔てなく(無分別に)愛し合っていた仲なのだから、今世界の多くの、確信して他への殺意が燃え上がってしまっている諸君は今一度、自分の方に落ち度が無きかを省みてみよう。尚、根本の神(=仏=天)も、他国を犠牲にし続ける国々に対してその考えでいる。

2007年4月19日 (木)

ゴサッタドン。

 神の悪魔への恋愛感情を分かち合って貰う信仰だ。本来の超神同士の。一切の意味の溶解している在処での。 行政対象暴力は、悪魔の神対象暴力の投影だ。副神もミザイル攻撃を受けたところの。そして、最後には自然の決定的暴力で歴史状況は回収されて来た、自然もこうして嘆きの歴史を歩んで来た。 そうならぬために社会生活を停止しても魔の手先達に心ある指導勢力が尽くしてみること。 超神の本来の感情と言ったら、銃弾の何発で利くものではなかろうから。

例えばパソコンが

鉄・非鉄金属の採掘、鋼材の製造、部品の製造、製品の製造、と各段階が先進国平均の約十分の一賃金の途上国労働者に担われて(先進国内生産もあるが率は少ないはずだ。)、先進国内で優勢のサービス生産(高賃金・軽労働の)と互換されることになっている。此れが現今先進帝国主義の貢納構造(つまり製造者には還元されない)であって、例のことを打ち出したこの星の神を嘆かせているところなのである。そこで心ある、政治経済指導者の皆様はその是正を鋭意、宜しく御願い致します。

フォークロアという,超神の悲劇。

 フォークロアとは、畢竟この星の神に捨て置かれた下層民衆の想像を絶する郷愁というべきものであろう。彼等こそ現に風土としての故郷にいて、何故か時に胸張り裂けるほどの別種の郷愁に衝き上げられざるを得なかった者達だ。その心理は、現には中国の内陸の隔絶された地の農民に現象していてこの時代、同じアジアの宇宙の外まで観想出来るほどの先進地民衆とのグロテスクな対照をなしている。彼等は何故、そのような自己の空漠の(本来はそれだけはある筈の与えられた労働への充足感というものも、その分担が公正でなければやはり)悲しみから立ち上がって行かなければならないのか、その問いこそが私の哲学の情熱だったのだ。この時代諸国の民衆の連帯実現の運動に絡めて、土地土地のフォークロアに、彼等が往時から喪失したものの一切の喪失感情を感受して、超聖書化、する、過激な読解者の多数の出現を望む!

超神に対して無限小なる

この星の現存在神へ。超神は現には神である時、神にして、苔の生えた自身神の信仰共同体を進んで解体し、非神乱舞の霊的荒野へと全てを誘い出して弁証法的旅程を歩むことを夢見る者として、私の内奥の超神の辞書に記述されてある。貴方も同じく本来超神でありますならばこれまでの目を覆うべき怠慢の罪滅ぼしの意味も込めて、これからはその通りの現の超神に向けての不断の弁証法的脱自を宜しく御願い致します。

2007年4月18日 (水)

今すぐ変化も隔ても無用の

時間・空間を超えた超神の絶対愛を。神・天使・善霊・悪霊・悪魔、その他、人霊でない霊の仮象を超えた。 魂はどれも本来この世界全体を愛したがっている。そしてその愛は、命の無際限の犠牲を超えて、一緒に先ず相手と同じ悪しき者として地獄に堕ちてあげる、それもまた無際限の、愛それ自体の犠牲にまで行き着く。  相手の生活のためにする時、何よりも食糧の確保は不可欠だ。同じように相手に精神的に良くして上げるのに、何よりも自己反省と思いやりをこめて、頭を下げることが不可欠だ。この星の神の愛は物質の食糧に等しいそのこと(相手に頭を下げる)を欠いたので、神でない者の中に霊的餓死者が生じたのだ。  

全国自治体首長の皆様は

今回の市長銃殺にめげることなく、生まれて此の方普通には生きては来れなかった彼等とは正反対の人間である皆様の務めとして、彼等に対する命省みぬ福祉に挺身して下されますよう、私の信ずる神と共に此処に宜しく御願い申し上げます。

思いつき

 人格とは漠然とその人の愛の内容だ。品物ではない。 能力とか経験とかで対等の関係でなくても、下の者がさぞかし大変だろうと思うと対等感覚になれる。つまりその時、互いが超神等価ということになるのだ。 強い者が周囲に気を遣えるようになって、愛する者になる。 望ましくないものだと判断した時、何故それではそのものが存在してしまっているのか深く考えることだ。この星では神以下、現前した悪を善の欠如として矮小化しようとしてこの報いなのだから。

不死祈願。

 この星の真の神よ、信ずる者のこの星を思う心を次第、次第に貴方ほどに、命を何ぼでも捧げ尽くしたいほどに強くして、その心の宿る体を何時か銃で何発打たれても死なない体にして下さいますように!

存在して

劣者に頭が下がらぬ優者はエゴイストである。その優者が神でもだ。そのエゴイスト振りが劣者によって鏡に見せられる。悪魔を現前させた神は、実相そのような別種の悪魔だったのだ。こうして現在この地球に真の善霊は私や私の主張に共鳴する者の少数しかいない。この星の此れまでも神は、その実相別種の悪を悔い改めて速やかに新生せよ!

2007年4月17日 (火)

魂は無内容であることがそのまま

最高の悲劇の可能性として栄光だ。超一流大学卒のエリート諸君、貴方方は、そのような者達の栄光を、貴方方がそのように彼等と逆にエリートであることに徴して、よく納得出来る者であるか?日本のエリートが北朝鮮のエリートよりずっと増しだということも一概には言えない。

思いつき

 神を信じて自分の取柄に捉われないこと。 反体制を切り捨てる者は実は体制である資格はない。 大変でもタメだと信じて努力する。いいと思えば、一つになってくれる。存在した途端、悪意を発し、それを続ける者すら何処かにいるだろうから。 階級世界の準観念形態としてのグルメ、正反対にタロイモを食っている奴などのことを決して考えない罪深さが味覚を一入にするのかも知れない。 透明と非透明の同時成立。自分が出る杭だと追った周囲に頭を下げる。 技術開発の内容と形式。 利潤の還元のみならず、高度資本の低度資本への還元。 彫刻という形式そのものが、色を無にしていて思想だ。一体、一体と言っている。しかし、そう容易くは・・・。理想と自分の現実との狭間で斃れ死ぬ者として・・・。 

反宗教的マゾヒズム。

 この星にはこうして神に罰せられる快を願望する者が多数存在してしまった。性愛に耽溺する者達が罰せられる時、神こそ自分の自分より彼岸への新たな出発の時の到来を予感するのかも知れないから。もっと誰しもの心が誰しもの心へと限りなく熱かった筈の彼岸へと。ついてはこの先神・非神自在になって行けば、彼等同等の偶発の過酷な運命を御恵み下さいと、運命の超女神に願えもしようことも言って置きたい。

魚とか牛、豚とか

生き物の血を必要な限度で流すことを神は認めている。それを実行する精神力も必要なのだ。それだから政治的テロを言語道断のように言うのは間違っている。民族による民族の支配が、その民族の半殺しに等しいことだってあるのだから。 創世記のアダムとイヴの非行は、神が踏ん反り返っていたからだという解釈。それだから神に人間に頭を下げて、人間の意識を自分の意識にして貰うこと。  勝負は相手と10回もやればその結果は、2捨3入、7捨8入して、5勝5敗(5分5分)、0勝10敗(相手が上)、10勝0敗(自分が上)、のどれかと決まっているのだ。結果に拘るの馬鹿気ている。 

我々に頭を下げて尽くす神に、

御返しに愛する者として向上して行く。 悪には悪が返る。自分に悪を返された者は、自分が実は別種の悪だったのだ。 この星の地獄界を抱えての未だ善なる者達の彼等の心に当てられての恒常的な不快はこの星の運命だ。 しかし彼等を仲立ちにして、一人一人がその心の愛を超神の愛にまで発達させることがそれぞれの真の幸福である筈だ。 だから悪くなっている奴を自分と関係ないと言ってはならない。 強い家族的な感情が、事態を必ず好転させる。だから共産主義だ!

地球仏教自体が

縁無き衆生を作った。仏さんが冷たく取り澄ましているから。 造悪無碍で可し。私が罪の償いの肩代わりをすると超阿弥陀仏。 人のこんなに何かやりたい、を自分の心のことにすること。 深く信ずれば誰しも殆ど神となり、他に誰とで恋愛感情になる。 ところで、恋愛とは男と女の深い相互理解の果ての一体化ということだ。 完全な天使、モーツァルトが、何時か不完全を飢渇するようになるだろう。 争う者という、絶対的に誤っている者には決してなるまい!

2007年4月16日 (月)

超神であった山の頂上から皆散った。

高くにいる神にも頂上は見えない。谷底に落ちている者もいる。ただ余さず愛し合うことだけが、便、だ。 無明いうことが、悟りの喪失の構造と対応して、無明の不安体験それ自体を恐らく一律一遍でなく多様に知的に定位し得る。つまりホームレスの不安体験は彼と違って知的でしかも彼を深く愛してその不安体験を知的に代言し得る者によって、最高に知的に煌びやかであろう。 ジュネや中上やバタイユから初めて・・・。

男達よ、、美川憲一のことを思えば、

どんなに給料が安くても自分は彼よりは恵まれていると思えるであろう。そのような不具というものもある。然るに自分の主張する不具者霊的優位説が、彼のような高年収に結びついたところにこの時代の特徴があると言える。同情が不快を緩和したのか、時代全体の感性が変になっているのか(心身調和が人に快をもたらすというのが、普通の感性であろうから)、仮に後者であってそして時代が変わって多くの人間が彼を自然には受け容れ難くなったとしても、その場合も彼への深い同情はその通り、彼への不快を緩和するはずだ。一般に不具に対する不快はそうなっている。また、もしかしたら自分が普通になっているから、彼等が不具ということになっているのだと考えることも。(つまりその昔の約束で)。つまり、不具者はそこに存在して普通人の心を、神の神でない者一般への福祉心にまで高める役割を果たしてくれるのだ。因みにそれだから私は、能力や人格の素朴な優劣に捉われない、年収同等を主張しているのだ。

2007年4月15日 (日)

クウォ―ク(究極の物質基礎粒子)一つも

切り捨てぬ愛。クウォ―クにも心があるなら、切り捨てれば 心を傷つけるから。愛の神を拝んで、彼を切り捨てぬために、他が幾らでも犠牲にな努力をするんだ、そうすれば何時かクウォーク一つも、他の全体に同じものを返すことであろう!

元気に生きる。

しかし、同時に愛深く生きる。それだから、自由経済を、十分に共産主義性が混合されたものに。 そして、時間、負担共々、それぞれにちょうどいい労働を。 こうしてこの地上界から皆、本拠の霊天上界に帰って行けるのだ。 だから日本国については、未だ帝国主義的、金権的であっては全体的にダメだ。 それに居直ろうとする悪い奴等の心に当てられて不快な思いをするのは、この星の善人の不可避的な運命だ。 それだから悪い奴等に幾らでも対応できる善人になって行くのだ。

思いつき

 神が悪魔や、ホームレスを自分の責任と拝んで寧ろ皆の信用を回復する。 反抗心が向上心を抑制させたりもする。 精子を飲みたいというこの時代の一部の女の願望も、無下に押さえつけるというのも・・・  しかし、一方でのこの時代逆に人間天変地異になって行くことも、・・・。他力を借りて、或いは自力で。いたずらに自力によることは良くない。魂は自分を自慢するために存在しているのではないのだから。 根本には、世界を、人間存在を付き合いも活動もそれぞれの自由ということにして上げればして上げられたという矛盾はあるが、神は生きるために互いに付き合って働いて貰うということにしている。他を犠牲にしての快楽主義は許されていない。

思いつき

赤ん坊には、父親が人格を犠牲に供して、二人の母親を。犠牲と言ったら、刻々、他の生き物の犠牲に感謝。 よく道徳を守れることも、よく他を愛せることも、自慢にしてはならない。そこで、 私の信ずる神は、他に頭を下げて尽くす。

2007年4月14日 (土)

性は儀式だ!

 愛による家庭の男と女の協働と性によって、終にそれぞれに男女が同時成立してしまうように、神と神でない者の協働も、ついに神と神でない者を終に双方に同時成立させる。つまりのこの時、現に超神の協働となる。日常内の性は、かくに至ることへの祈願を込めての厳粛な儀式だ!

学問要諦。

 聖書。般若心経。論語。へーゲル前近代哲学。へーゲル後近現代哲学。資本論。近代経済学。(国語、社会)。近現代数学。量子論。相対論。分子生物学。科学技術論。情報論。(理科)。芸術論。(国語、音楽、美術)。医療・福祉論。(国語、社会、理科)。ざっと此れだけを、帝国主義救済的国際自由共産主義運動の学問・芸術・産業の協働の流れの中で、専門性と一般性を交流させつつ組織すること。信仰心厚く、かつ、私なんぞより余程頭の良い人達に。

競争社会は

自己中心で、それが家庭にも及んで、家庭を崩壊させる。共産社会でこそ、家族の紐帯も深まる。そして福祉心も。 父親は先ず、弱い子の前に出ず、陰で為にした方がいい。 一切の人生が、実はお互いの縁起となっている。

2007年4月13日 (金)

あんたは、

隣の人の、あんたは好いなー、が分かる?

2007年4月12日 (木)

人情。

 下町の長屋の人情を世界へ。であれは、人情を超えた神情の激発なのだから。親心に共感出来る者ならそれに無限倍する神心も想像出来る。一切華麗な建造物を心眼で見直して道徳的汚染を見出せ。典型は瀬戸大橋であろう。神はそのような建造物の一切の存続を何時までも許さない。畢竟、根源的には帝国主義的精神汚染を、国際自由共産主義的に洗浄せよ、ということなのだ。中天の大日さんは常に見守り、地下の地球本体さんも常に感じ取っている、そしてそれを超えた霊物両界統合の主宰神も!

,

弱い奴が、

このような自分に決して引け目を感じさせない奴の記憶があると言っている。しかし、この星には未だ嘗て見当たらない、と言っている。本当にそうなら彼のために、これから皆で捜しに行こう。

2007年4月11日 (水)

自由共産主義社会では、

一人、一人が主宰神とあの世の守護霊と共に全体のためを思って働き、その結果全夫妻の感情が共有されるのだ(性もその積もりで、それぞれ営まれる。つまり男神が女神とするように)こうして一生かかって一人一人の愛がこの星への超神ほどの愛へと培われるのだ!

福祉心。

 普通の人は誰でも障害者施設に行って、私の信ずる神の、一切の神でない者への福祉心を、同じように目の前の障害者に対する自分の心として体験することが出来る。健気に生きている彼等一人一人に頭が下がる、その心を。(因みに、障害にも、体の障害と心の障害とがあって、寧ろ後者の方が大変なのだ)。

同時成立。

 愛によって自分の内部に肯定と否定と(例えば強気と弱気とを)を同時成立させる。このとき内部はそれが可能な未知の超存在領域に超出している。 ありきたりの個人として、自分の具有せる物についてはそうであることの他者への務めを果たし、一方で自分の不具なる物についての引け目や悲哀も体験する。しかも具有・不具は見方で逆転する。 色々な間違いをこちらが指摘して上げるのが困難な人も多い。しかし人は、困難でも為すことの必要を優先して積極的であるべきなのだ。 指導者皆は、場合によっては非常手段に出ようとする神の懸け離れた愛の強さも目指せ!

巨悪がこの星では

地上の一切の悪を可愛がりつつ、霊地獄界の底に、億年存在してしまっている。この星の神にもはや怨恨しか催せぬ者達よ。神は此れからは貴方達の只中で糞塗れになって、空前の野菜になると言っている。自分を信ずる者にもそうして貰うと言っている。恐らく神との間の自然的に男女的な心理関係が、我慢ならなくなったのだ。それで高齢者離婚のように。つまり我々は素朴な価値上下を仮象として、実質引き分け、それ故実相(超神相互)の引き分けを実現すべきなのだ。 

古来、糞は、

野菜の方が人間より愛が強いと知っていた。野菜は自分を食べて輝いて人間に好んで食べられるのだから。糞も野菜も、人間に少しずつ野菜のようになれと言っている。また、究極の野菜は、まだ究極の糞を未だ食えぬ、この星の此れまでの神にもそう言っている。

2007年4月10日 (火)

愛して尽くす者は、

相手に頭を下げる。自分の愛を判定するは相手なのだから。 それぞれ分っていることを、むしろ相手に頭を下げて教え合う。その時自然に御返しに頭が下がる。 十分にやって上げると、相手も済まなくなって返したくなる。つまり御互いに対等を欲しているのだ。 老裁判官は寧ろ頭を下げてら正反対の人生なった老犯罪者を捌いて貰いたい。その時裁きであって、裁きでなくなる。 また新都知事も貴方と正反対の都庁直下のホームレスに頭を下げて。

上の者の態度の悪さは

下の者の非行を正当化する。存在の原理である、超神が正当化する。神でない者が神に、部下が上司に、生徒が教師に、子供が親に。そして非行は決意すれば限度無く打ち出し得て、その上の者の態度が変わるまで続く。この星の神はこのほどそれに気づき態度を改めた模様だ。その望ましい態度とは下の者に常時頭を下げることである。一切実存は、素朴な価値上下の仮象を超えて、実質価値対等に扱われなければならないからだ。この度目出度く御当選の石原新都知事にも、東京都にもその態度を御勧めする。

2007年4月 9日 (月)

思いつき

 神の神でない者への福祉心に包まれて、神でない者の間の福祉心がある。 福祉心が十分でないと反抗者や、人を拒絶する心冷たい自助努力者を生む。 強いが福祉心の乏しい人達。相手に自分ばっかり強くて済みません、自分と違って大変なんですよねと言って尽くすのだ。 優劣愛し合う只中での劣の向上。 何よりも愛さぬ者に謝って、思いやって愛することを恵むこと。 

億年の反抗者たちは

純粋にして、恨んでいて観念として確かにこの星を愛して来て充足している。一方信仰という、その実不純神人交遊に耽って来た者達は、愛し合っていてしかも観念として少しもこの星を愛さず心底が空しい者達だったのだ。それら観念としての深甚の罪人達の年貢の納め時が今近付いている。何時も純粋にして現象の如何と無関係に、観念としては確かに愛する者達だけが深く、深く充足し得る!

仕向けているもの。

 労働、子育てを仕向けています。嫌な奴との付き合いも仕向けています。また、人によっては色々な不具を引き受けさせられます。受け容れるのも自由、受け容れないのも自由(無論その場合、不良指定を受けての仕置きが待っています。)です。

直下の神(地球本体様)を

撫でて上げたい人も踏みつけにしたい人も御自由にどうぞ。私はやはり撫でて上げて真面目に働きます。大空の大日様も拝みたい人も顔を背けたい人も御自由にどうぞ。私はやはり拝んで真面目に働きます。また私は自然を超えた神様をも拝みます。

フェルマー予想から。

  フェルマー予想は左辺の未知数の数a、右辺の未知数の数b、指数n による、不定方程式の解関数S(a、b、n)(解が有れば=1、無ければ=0)として一般化できる。つまり、S(2、1、2)=1、S(2、1、n)=0(n>2)、であり、この後半の部分がフェルマー以来の数百年の学者の研究によりやっと完全に結論されたのだった。然るにそれだから私の考えた関数Sの全容ということになると、それが掴めるのは何時のことになるか分からないということになるのである。一方(a、b、n)の座標空間にSの値に随ってドットすることにすれば、数学的課題の解決が、そのまま次第次第に形象を決定して行く(その先験的全容は神のみが知っている)アートというものが考えられるはずだ。しかし神は、このような、超浮世離れした研究、そしてアートを、諸々の冒険を善しとされるように(私はきっとそうされていると思っている)、我々に御許しになるのだろうか?

数・空間表。

 数(1,2,3,4・・・)が空間を作り(1次元、2次元、3次元、・・・)、空間が数を作り(小数、複素数、3元数(架空)、・・・)、その数がさらに空間を作り(小数次元(架空)、複素数次元(架空)、三元数次元(架空)、・・・)・・・。こんな数・空間の連鎖表は本当にあるのか?

建物の見え方が、そして感じられ方が

大人と子供では違う。大人がそれを子供に頭を下げて教えて貰うこと、それが此れからのこの星にとって一番大事なことだ!

造反天使群=悪魔達の存在を見て、

自他の別なく、神なる存在の絶対に疑いを持たない神は魂の不純が推定されて、超神から程遠い存在だ。神とは学校の校長程度のものだと判明しているのだ。校長の非理想なるを自己を張って糾弾する者こそ、純粋なる者としてより超神に近づいている!

2007年4月 8日 (日)

数学の数列化。

 乗法を加法の反復と解釈し、冪法は無論乗法の反復と解釈しさらに超冪法、超超冪法と、次々に考えて行く。代数式は。加法と乗法と冪法から構成されているので、その算法を一つずつずらして、超代数式とでも言うべきものが得られるはずだ。これを次々行えば、超代数式の数列が得られるはずだ。したがって代数式を基底に持つ代数学から始めて、超代数式を基底に持つ超代数学の数列が得られるはずだ。同様に導関数をずらした超導関数の数列対応の超解析学の数列が得られるはずだ。どんなものか?
 

思いつき

 魂とは、世界を、存在を無に帰するまでの愛の可能性だ。 ラヴミドル教、そして革命的自由共産主義同盟。 民主哲人政治、福祉を充実させつつの自由共産主義。 世直しと相当数の子育てと。 相手の不正に対する自分の責任を考える。学校では造反教師や不良を反って超校長に。 金持ちがたまに臨時工でもやってみたいと言ったりもする。本当は皆それ位でいいのかもね。 遊戯の積極的価値、命を幾らでもという感情の絶対値。 イエスもルシファーも全員の中にに眠っている。 親の意識と子供の意識との、神の意識と、神でない者との同時成立。 神が増しならば、神も天使も人間も、常時本来超神の充足が出来た筈なのだ! 

人間は自由とマリツキスルのも自由だ!

 テンテンテンマリテンテマリ、テンテンテマリノ・・・。 自分は勝つことも負けることも共にある。嘆くことも、気張ることも・・・。 夢で2割ラメラメ、8割マッシロのシャツを着ていた。体が引き裂かれる快さで、皆もどう? 武田鉄矢にもさだまさしにもなりきれず、・・・。 目標はヒデキサイジョーやらと、人生の秋が来る前に自然死することだ。人生を教え導くのは年長なのだから。 神は人が出来ないことにもそれが必要ならば力を貸す。 副神の資格のない彼がその看板を下ろせば自分は百倍元気になるだろう。彼は人への自分の態度の干渉ということがまるで分っていない。それで何を教えるつもりなのか。 レッド=バトラー、決して醒めないものを愛という。男神の女神への、女神の男神への愛は決して醒めない。その子達へのも。但しこの星では神の愛が十分ではなく、億年、星への悪意を続ける仲間も存在してしまっている。愛する者なら、徒に彼等を責めることなく彼等の事を一番心に懸けつつ自分の愛のありようを不断に反省しつつ、とりあえず彼等の心の入れ変わるのを待っていよう。何時か愛の暴風と共に、この星の一切の悪しきものが去って行きますように。

2007年4月 7日 (土)

NHKのタイムトラベル。

 遠い時間も遠い土地も豊かに暮らしている現在日本からは考えたくないものだ。それならそれでいい。しかし最低、その遠い時間。遠い土地のことをからかい半分に扱うこと位は止めて欲しい。一人ジャングルで苦労した横井庄一の食い物についてなど。その苦労に共感する気持ちが少しも無いことが明白で、その、人思う心のド貧困は何時か死に値することになるだろうから。

この星の神へ悪魔ルシファーと共に。

 24時間労働無駄骨折でございます。その御好きな労働を貴方は神でない者にも仕向けていらっしゃいますが、そんな無駄な努力をするより、もっと別の努力をして神でない者一人一人の思いが十分分る(そのために神でない者一人一人に頭を下げることが必要だ、労働が出来ない(その他貴方と違って色々、魂の内容御粗末な)神でない者の方が自分より劣っているとしか受け止められない、凡俗神ではダメだ)生まれ変わって下さいますよう、此処に心から御願い申し上げます。反抗者の憎しみが核ミサイルによる自然破壊の可能性にまで強大化したこの時代に。急にに貴方によって虐殺されるまで、多くの神でない者達が貴方のことなど頓と思わなくなっているこの時代に。

奈落とは世界だ。

劇とは存在だ。転落者達が、夾竹桃の倦怠のように私達を神まで誘うからだ。私達は感覚までを造りし者として誇りながら、何時か感覚自体がそれに涙を流すまでの体験をすることだろう・・・。衒学という反倫理と、蒙昧という一徹が、神に向かって教学する者達を嘲笑っているこの星で。

2007年4月 6日 (金)

この星で美は誰を祝福して来たのか?

 下生した副神である者が、主神の意思を正しく地上人に伝えることが出来ず、副神も、副神をそうした主神も地上人の全く支持を失った。地上人の主神・副神の採点は零点だ。本来超神達の採点だ、此処ずっと繰り返されているところの。こうしてこの星で美は神と共に彼の善を称えるよりは、本来の自分であろうとする者の純粋を称えて来たかに思われる。つまり芸術の美は寧ろ、より根源的に真なるもの、超善なるものを啓示するのだ! 

日本国憲法は

前文により、真の愛の宗教の前国家的、前憲法的な信奉を想定している。将来、そのような宗教であることのの憲法的追認を宜しく御願い致します。

国際的国家的経済犯罪

(神の基準による)の報いは、テロ・海賊・地震・津波等だ。アジアに大なる貧富格差があってはならない。またアジアでは、基本的にアジア人が活動しなければばならない。

2007年4月 5日 (木)

芸術って奴は。

 「あ」と発音するとその時々に、色んな形に、口の中に石が掴まれる。その時々の思想感情を瞬間に充填して。極短詩!

関テレ捏造は

民放テレビである以上企業として消費者に等しい視聴者主導になるのは仕方が無い。然るに視聴者とは日本津々浦々の企業に勤めているそれぞれであり、企業生活と視聴の志向が連関があるとすれば、一切企業倫理、一切消費者倫理の同時変容に拠らねば根本解決は覚束無いことになる。まさにそのための神による阪神・淡路大震災の行使ということだったのである。心ある政治家においてはそれを固く信じて、民主制ということに拘らず、正しく全体を愛するが故の勇気ある呼びかけ(前宰相がその模範とも言えよう)に向ってくださるよう、此処に心から御願い申し上げます。

原罪。

 私達を劣った地位に置いた神の原罪は償われずに超神により許されてきた。しかし、神よ、薬あるとて毒を好むな。威張ってないで、頭を下げよ。 そしてこの神の、以外の者への頭を下げての福祉心が模範だ。 そして折々至らぬ神への我々本来超神の無常の信仰だ!

究極の愛は

一切の意味の区別を無くす。神と被造物との、善と悪との。悪に絡めての善、悪への祈りを宿しての善。 正義を超えた真の愛を確信しての愛拳。 一切のこの世、あの世の地位観念を超えて。 自由共産主義社会で世のため人のために働き、妻を神と同じく全地球のように抱き、妻は全地球を思う神に抱かれるように抱かれる。 そして日本から世界へ文化大革命を!

思いつき

 これからはキリスト教は悪人潰しを待ち望まず、仏教は悪人をホットカず。 生まれつきの性悪は周囲の無理解でどんどん、それだから世間はヤクザの皆様に。 神よこの際、出会い系のホストをやるくらいに捌けてみては。 悪意が隣に存在する不快は自分の愛によってそれを払拭する以外に方はない。 恨む者のは自分がそれであんまりいいとうそぶいていても、魂の根底で不幸だ。この星の神が、長くそうあり続ける者を存在させてしまった。 しかしなんとか、歴史の神と自然内の神と、天上人と生き物と、そして人間の使う道具(これもいつの間にか心を宿しているかも知れないから)深くこの地上人達に願うように!

思いつき

 力の強い奴のわがままはそれが神でも通らない。あくまで思っているというなら、それが嫌でも劣っている者に頭を下げよ!

権力を振るって

金を分どる者が、人間が金があって安楽な暮らしをした方がいいことを証明した。国外的にも、国内的にも。この星の神はそのような人間達を顔をしかめて潰してばかりいないで、自分の彼等への不適合を彼等に謝るべきであろう。

2007年4月 4日 (水)

人間が神好みの

善を強いられ来た星。そろそろ、彼、神のすげかえの時期が来ている!

我々は本来は

皆同じ超神だから、魂の悪い心をみたら我々として悲しみ、魂の善い心を見たら我々として喜ぼう!

イムジン川。

 川には魂があるから願っている。自由共産主義の下で半島が統一され、多様な個性の全てが調和出来る社会になりますようにと。お互いの折折の汚い心を洗い流す強力な愛が眠っている。川が荒れ大地が揺れないで済みますように。核ミサイルの打ち合い以前に空前の物資粒子(私はそれが意志持つ神霊単子の成り変りと信じている)の非法則的攪乱により、一切の機器の機能麻痺による社会生活の壊滅が訪れませんように。北東アジアに確かな平和が訪れますように。

UFO.

 この星のこれまでの神という神に愛想が尽きたらUFOに乗って現在この地球にも着ていると思しき宇宙人の星域の新しい信仰どう?もしかしたら自分がその使徒?と思っている。或いは精根尽き果てた感のこの星の主神自体が帰依しているかも知れない・・・。 第2次戦後、今度こそはと世界史に徹底的な反省の歩みを歩ませるために遣わした天使達が魔の勢力の仕掛けに押されて殆ど働けず、醜悪化した歴史の尻拭いの行為として、手始めにこの日本を地下から突くしかなかったこの星の主神はそれ故に、自分を無能と認めてこの星全体に謝るべきであろう。また、自分以外の者を、自分無能神対応の本来超神と認めるしかないだろう。私の信仰は恐らくそういう主神とそれを指導する渡来の他の主神との一体の存在への信仰だ!

2007年4月 3日 (火)

思いつき

 神も行き着いていない、超神の地球抱き殺しの愛。つまりその時、地球がその生を全うして死ぬのだ。 生徒が不良になると、はっきり師弟関係が逆転する。 福祉をする者は相手に対して存在上の債務奴隷である位でいい。

管があったり、

解剖図を作ったりした理科室でもひしめいていた物質粒子達、化学反応を正確に踊ることを神に命じられて。彼等が人間の乱行者達に我慢がならないと言っている。乱行に、非法則的乱行が報いられる日!

食卓。

 食卓で人の分まで手を伸ばす子がいたら、親に手を叩かれる。国際経済という食卓でも同じだ。またそういう子は、食いすぎで腹痛を起こしたりもしがちなのだ!

 ヘ―ゲル哲学は、大自然という音楽の記譜だ! 任意の二個の実存(神をも含めた)は本来超神として、一方が本来を擬し一方が現実そのままで、理想と現実の上下により、男の女の交情が可能なはずだ! 

記憶喪失を

回復させてあげるることも、まだ小さい草花を大きくすることもすぐには出来ない。しかし、御互い深く愛し合えている実感位はきっと持てる筈だ。

2007年4月 2日 (月)

思いつき

 戒律とは要するに種々に自分勝手を抑えるということだ。 魂の可能性は同じだ。だかこの星で悪魔が多数、神の前に生まれ出てしまっているのだから、寧ろ神が俺だって場合によっちゃーと言って、悪魔達と一体感を求めることがあって良いのだ。 生き物のの血を毎日見る、人間生活に不可欠の仕事をしている者達だっているのだから、そのようなことに耐えるのも一つの愛の忍耐力なのだ。 人殺しということは、諸外国では日常茶飯のこととも言える。日本に国際社会での使命を果たす気概があるのか? 前提、国際社会で道徳的であって国内の道徳ということも意味を持つ。 受験も出来るだけ一人一人公共心を持って無用な重圧を無にして行こう。 弱い妻への虐待の恨みが潜行して高齢者離婚となる。弱者には寧ろ頭を下げて優しくするんだ!   

自分の目標。

 愛する者の辞書からは何時か「悔しい」の言葉は消える。「恥ずかしい」の言葉も消える。何を進歩させるにも自分の目標を立てて努力し合うから(仮に自分の怠け心に負けた時にも、口をつくのはその怠け心に対する、そして周囲に対する「済まない」の言葉だけだ。これが愛の言葉だ。)。あえて、そこで競争心を肯定している切磋琢磨ということも善くないと言おう。競争はケンカに繋がることだから。勝負に拘って無理な努力をすると、必ずその人間の本来の選手寿命を縮める。真のチャンピオンとは着、着、自分の目標を追及してその結果が一番だったので、そのまま他にまで尽くす者だ。そして、人にも、より劣った者にそうせよ、と勧める者だ。この地球には、今まで数少ない。勝負に拘る者は、人愛さぬ者であり、思想的絶対的に誤っている者だ!

2007年4月 1日 (日)

誰しもこれからは

(それだからこの星のこれまでの神も)、目の前の自分を恨む者をその者ために悲しめ。魂が恨み心になることは悲しいことだし、恨むことの責任は自分が目の前にいて相手に自分の心が干渉している以上、誰の責任になるかは不確定なのだから!

先進国民よ、

その国民意識に、深い深い同じ星の同胞への愛によって、貧しい途上国民の意識を常に常に同時成立させよ!

思いつき

 世界(神をも含めて広義)=現象=色、即是、空=原理=超神。 旧植民地国・現途上国を搾取しし続けて来た(或いは現にそうしている)帝国主義国はその技術的達成も技術者の技術研究三昧の生活それ自体が搾取によって実現されていた(或いはされている)とすれば、それを途上国にも負うていることになる。それ故此れより、発達した経済システムの全体を、途上国に罪滅ぼしとして還元してその育成する義務があると言わねばならない。 多くが快楽原則に随うことを可能にしてしまう繁栄の達成は、その主体のモラルハザードの心が追って全体経済を破綻させる(財政の浪費、ホリエモン主義による攪乱等)。 成員が健全に現実原則に随い道徳的であるために、物の生産を一定にして生産時間を縮減し、文化活動に振り替えるべきだ。 弱者に頭を下げて尽くす非弱者の義務。義務履行怠慢に、長い間に弱者の中のストライキ能力が爆発する。本来誰しも超神だから。 神の係累(つまり善霊)であることから、分出した非神(神に非ずを立てる者、悪霊の拡大概念)救済に向かい、非神として一体化し、その後共に神のより発達した係累として還帰する。或いは、自分分自身が進んで非神として分出して、救済者を待ち受ける。こうして一切の、神の係累・非神を霊的に踏査してそれらの彼岸の超神に至る!

勉強せざる者、食うべからず、

ということになっている。大人が夫婦協業の労働(家庭内と家庭外との結合)と対応して、その対応分、社会的全体生産の成果からの還元(生育する子の分まで)の資格=金銭を受け取っている。従って、その子の金銭についてはしっかり学業の成果と対応させるべき、ということになっている。曰く、勉強せざる者も食うべからず。こうして、学業も教師や、学級のリーダーがリードする学業の成果生産の学級での準企業活動(それだからそれは工夫して、個人、個人を分離しない協業が宜しいのだ)となして、追っての経済社会への適応を円滑にし、かつ、経済論と教育論との矛盾対立を克服して行こう。但し何度も言うようにこのような神の作りし世界制度に適合していないで、生まれて来て暫くに不良指定を受けるような者達に対しては、彼等がそのような者達であるとしても一人間として尊重して(彼等はそのような者達であるからこそ、以後人一倍人生が大変になるのだから)の望ましい福祉が必要なのである。

愛とは

他のためにすることである。そして、愛には愛が返り、害には害が返る。この星のこれまでの神はこの単純な一、二知をよく知り分け、神としてより発達した愛の神になって下さいますよう、此処に心から御願い申し上げます。基本、遊び暮らしたい思いの人間達(その他あまり一生懸命働きたくない奴も少なからずいる)は、この星ではこの世に生まれて来て一生不良呼ばわりされることになってしまいます。それは彼等に対して明らかに害である。そしてその害には害が返るのです。宜しく。

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