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2006年10月31日 (火)

反抗、という概念。

 反抗、という概念は劫初、自分の作った世界の予定調和を絶対確信していた神には孕まれていない神にも未知の概念だった。反抗する神以外の者によって初めてそれが神にも彼岸から持ち来たられた。こうしてこの世界の一切の概念は、神よりも彼岸の超神の在処からやって来る。そして私にもこの時代その彼岸から、極め付けの概念、非神=神に、ありとあらゆる非ずを立てること、がやって来た!

アンタ中毒。

 超神同士は御互いにアンタ中毒で、一日も御互いが切れると、御互いに精神不安定になった。この星の神が、神以外の者に上回ってて御免と言うと、超神が蘇える!

ヤクザは

元イジメられっ子だったことも多い。それでそうなった後で、さらに皆で除け者にするともっともっと悪くなりかねない。

2006年10月29日 (日)

呼吸で感謝。

 本来暗黒であるはずのこの宇宙のこの地球圏に、太陽が昇り朝の光が差し込めたら、その神々の(大日さん(一切生命の父)、地球さん(一切生命の母)、月さん(陰大日さん))の切れ目のない労働に呼吸で感謝だ。しかし、大日・月・地球一体のこの星の主神は一方で、この星の悪い奴等の存在は全て自分の責任と呼吸で詫び、そして呼吸で思いやって彼らの救済に向い、場合によっては彼等のためを思って、一旦、神の廃業すら辞さない神だ!

愛は選ばず。

相手の内容も、自分の内容も(相手がこうだから相手を愛せない。自分がこうだから相手を愛せない、ということはない。)。互いに本来超神だから(神と神以外の者も。神以外の者同士も。)そして互いに、して上げる、して貰う、だ!

究極、悟った仏さんの

最大の悟りは、無明の衆生=何も悟っていない一民衆、が自分の想像絶するほどに現に苦しまねばならないが故に、それを免れている自分などより裏の存在価値が上だという悟りだ。彼も無明の衆生に自分の悟りを捧げ尽くして無明の衆生の裏の存在価値に追い付く(このとき無明の衆生は次第に悟って表の存在価値を究極の仏さんへとを高める)。こうして一切存在が、価値無分別にして本来超仏=超般若心(自体)だ!

2006年10月28日 (土)

超神の美意識、美醜の彼岸。

 形の悪い者達が、これまた形の悪い付き合いをしていて、もう神も手に負えなく人間達を、また当の神をも衝き上げる深い悲しみのようなので。泉ピン子、貴方は深く深く美しい!  

こうやってこれまでの主神や副神が

多くの人間をこの星を恨んでの悪魔化の道筋につけた。主神が遣わした副神が何処其処の館で瞑想しているうち(自分もやる気をなくしているうち)、某学校で生徒がいじめに耐え切れず自殺した。此れから彼は悪魔化の道筋を歩むであろう。一方で大変な働き者であっても、他への思いやりに乏しい者達、悔い改めよ。この星にはあるがままで遊び暮らしたい魂が少なからずいる。

主神は

もしかして何処かで人間と同じ身体条件を引き受けつつ、しかも飲まず食わず眠らず休まずそして抱かずに、星のために24時間重労働で人間個人個人の生き死にを超えてこの地上で(同時に霊界でも)働き続けているのか(つまり身体がその時、超常の御神体になってしまってそれが可能なっているという)?人間は生まれて来て出来るだけ早めにしっかりして、出来るだけ重労働を引き受け、出来るだけ寿命の最期まで継続することによりそれに近づけるのか? 

美川憲一の深層心理。

 NHKでああやって幅を利かしただけでは足りず、多数にそうして貰うを超えて全男性にオカマ仲間になって貰いたがっている。そう出来なくても少なくとも、そうしたのと同じ位、自分に親身なって欲しがっている。そうしたらオカマ返上の努力をしてみてもいい。オカマ達の共通の心理。不具者達の共通の心理。皆、遠い昔深く愛し合っていたから。

2006年10月27日 (金)

不具者優位説。

 普通の人は、5分、想像上諸々の不具者(眼が見えない、足が不自由だ、頭が特別悪い、気が特別弱い、性質が特別悪い等々)をやってみて、5分もそのような不具者をやってられない自分を見出だして、今まで自分の方が偉いと思って来た意識を作り変えなさい。そうして不具者に色々な意味で頭をを下げて(特に、生まれつきの不具は自分(達)が生まれる前に彼を、生まれてからの不具の役に回したからだと思って謝って)、自分の具わっているものを彼に捧げ尽くすのです。無論不具も色々で人間の間で一方的でない(一方が気が弱く、一方が頭が悪いといったふうに)ことも多いのだから、その時は御互い様でそうするのです。

殺生。

 予想される主神の大殺生を最小限のものにしようと努力して来たが、誰も(私も含めて)居直っている者達を説得することも、正拳で正すことも出来ぬことであろう。一方、主神は自分以外の者の気持ちを十分分ってやれていなかったことを認め、悔い改めている神でもあろう。日本の財政赤字とは、畢竟、日本人が、主神、東洋の神、そして日本の神(々)の求める程に一生懸命には働きたくなかったということになるだろうから。

2006年10月26日 (木)

抵抗勢力という

この星の魔の勢力の手先達、この日本のために、この星のために悔い改めよ。そして自動車免許の路上試験に等しいこの地上人生をこの時代、これからでも霊的に成功してて終わり、晴れて善霊の本免許を得て天上に帰れよ。貴方達は何度生まれ変わってもその本免許が取れない善悪境界の魂達なのである。(地獄霊が一定時間に改心し天上に帰って善霊仮免許ということになるのだ。)

深く愛している者が殺した!

 当の責任のある指導者はそのまま生かして、その指導が行き届かずに悪くなった庶民大衆の幾足りかを。私も神命、責任を全う出来ぬ時は、今度は共に潔く神に命を奪われよう!

性的結合。

 男女とは普遍的には上下なのである。一方対等も意志して代わる代わるに上下にすることも出来る。かくして、一切二人関係は男女と思いなして性的結合が可能になる。また集団において、個人はだれしも他の全成員と、或いは集団そのものと対峙する意識も持ち得て、相手の全体を擬人化し二人関係と思いなせば、個人は他者全体を愛して集団規模の性欲を持ち得ることになる。だから地球の神は地球大の性欲を昇華している。然るに個人は本来超神なのだから無論本来神でもあり、そう思えば神と同じく地球大の性欲を催せるのであり、それ以上の超地球大の性欲すら催せるのある(我々も神も同じく本来超神だから)。超地球大の慕情と、超地球大の性的結合だ!

2006年10月25日 (水)

第二の魔の勢力。

 私の信ずるこの星の魔の営力を積極的に救済せんと志す神(恐らくは主神)を信じぬ者は、神であっても善霊であっても第二の魔の勢力だ。彼等はとりあえず神や善霊であっても第一の魔の勢力を唯唯疎外するばかりで、彼らを反って刻々悪くしてそれに自覚のない神や善霊達だ。魂に関して、事実は非科学的で、人類を反って不幸にする輩達だ。小川が次には枯れ川なっていしまうように、法=心の教え、を衰えさせてしまう者達だ。私達そのような第二の魔の勢力をも主神と共に深い愛によって救済に向かう。

愛の花。

 イエス様のように大輪であったり、ホリエモンのように固い蕾であったり。でもホリエモンが努力してちょっとでも蕾を膨らませたら、愛の神はそれを別の霊的な眼で見て大輪というかもしれない。同じ眼で見て既に大輪であるはずのイエス様の心を逆に蕾というかも知れない。その別の霊的な眼は、魂の不具の苦痛が分る眼だからだ。ホリエモンどんなに苦労して固い蕾をそこまで膨らませたか分る眼だからだ(だからそれが分らないうちはイエス様もその別の眼には蕾だ。)そして愛の神にその別の霊的なを眼分かち合ってもらいホリエモンの苦労が自分のことのように痛いほど分って別の眼では蕾の自分の蕾を膨らませつつ、最初の眼では大輪である自分をホリエモンに捧げ尽くし、ホリエモンがそれによく応えるなら、努力して新たに空前の第三の霊的な眼を獲得した愛の超神の眼で見て、御互いが愛の超大輪の花だ!

2006年10月24日 (火)

損な役回り。

 どんな集団にも少数性質の悪い奴が存在していたら、そうでない奴は生まれる前に彼等に損な役回りに回ってもらって全体愛し合う修行をすることにしたんだと思って、彼等に頭を下げて十分に愛してやろう。そして終には互いに深く愛し合おう。この時代、周囲に少しもそうして貰えずに根性がさらに曲がり、世に憚っている者も多い。世の中もそういう者達も此れから一つ、深く愛し合い直してみないか?

金権と自然変動。

 金権は不快だから自然変動、居直っているともっと自然変動、私は少なからずの人の怠慢心に同情心があるが、神は許していない。福島県は誰も特別悪いとは言っていなかった現実を直視しよう。此れからは金は、主に世直しのために流通させるんだ!

現代的、歴史の無意味・無目的ということの意味。

 神の世界計画=新エデンの園計画が、妨害者=悪魔の、無神論的、唯物論的働きかけにより歴史現象の内容としても歴史現象丸ごととしても、今、無化されようとしているのだ。神はこのところ悪魔との文明史戦でハルウララのようなのである。

超神は時空を超えて。

 一曲の始まりの音は既にその後の音を全て予感し愛している。歴史の始まりのアダムとイブも、歴史の終わりのそして新たな歴史の始まる寸前の、新たなアダムとイブの親(彼等その他の一切生命(植物も、動物も)の幼生・胎児心身を基礎物質・基礎霊体から合成し、新エデンの園を建設し終わった)までを既に予感し愛していた。歴史は神によって奏でられる麗しい音楽のようであって然るべきだった。がしかし神の神としての発達の停滞を謗るように妨害者=悪魔を差し向ける超神が歴史を途中から有調と無調が混濁した現代音楽のようにしてしまった。歴史は、新エデンの園計画という、神の世界計画が反抗者=悪魔の妨害によって孕む劇で、それがそのまま超神が催す独立した演奏者二人(神と悪魔)による合作の不思議な音楽だ!

2006年10月23日 (月)

自由共産主義。

 金正日さん、自由を。ノムヒョンさん、安倍さん、共産主義精神を。コキントウさん、再び共産主義精神を。そして大アジアを大共栄圏にだ!

思いつき

 決意して殺してみせなければ(教師刺殺)、死んでみせなければ(生徒自殺)悔い改めようとしなかった、弱者を蔑ろにする周囲の普通人の居直り。 全県未だに福島のようではないのか?地震・雷の素が早く尽きますように。 自分の仁を殺しても仁を為す。理=天=絶対精神=形相構想者にして絶対(広義の)倫理実践者、気=質料=物質、霊質 による世界(地上・霊界)創造。そして一切個存に天理=仁義(義=善、道徳の実践、仁=善、道徳を超えた愛の実践)が貫く(超朱子学)。 共求菩提。自分が先ず菩提(成仏の境地)を上求する(修行して確立する)必然性は無い。皆に呼びかけて仲良く求めて行く。これがそのままほとんどキリスト教の隣人愛だ。 理想の人格は、それぞれ偏って固定的な人格から、他を愛するために少しずつしかし不断に作り変えて、偏りの無いしかも柔軟で時に偏りも出せる人格として行き着く。他を愛するに最も相応しい人格。無論、中性人格だ。 

三波春夫に学ぶ神。

 三波春夫のお客様は神様です、と同じように、自分以外の者は自分を評価してくれる(本来)超神様ですと頭を下げる神。そして自分も超神に成長しようとする神。そのような神との対等信仰。我々は自由に振舞ってその星の神を評定する(本来)超神で(そのような、それ位の価値存在で)、それ以外の上下価値観(能力、精神力、人格、悟り、愛の能力等)、2の次、3の次だ。それだから、場合によってはそこにある現に星の神である者の統べる信仰共同体にも、たった一人で対決しうる!

脅して。

 何時までも俺達に態度悪く威張っていると、今悪くなっている奴よりもっと悪くなってやるぞと脅して、神に頭を下げさせて支えて貰う空前の対等信仰。この信仰によらずば、強力な反抗者の存在しているこの星の根源的な救済は覚束無いのだ。因みに国家権力者は、国家社会の隅々まで弱者のための、そして彼等に頭を下げての優しさ管理を御願いします。その苦労(頭を下げることまで含めての)が出来ないというのは、それがされないときの弱者自身の苦労が分かっていないということです。。弱者自身は生まれて来てもっと苦しい!一方で、弱者を圧迫する奴を抑える時にも、根底で彼等にも頭を下げることが必要なのです。彼等もまた別種の魂の不具者であろうから。神以外の者に頭を下げている、頭が下がっている神に学ぶべきです。

2006年10月22日 (日)

花を咲かそうよ。

 喜納昌吉さん。神も天使も善人も悪人も悪魔も、流れて流れて、そして折々に素晴しい(悪人、悪魔すら最後には)愛の花を咲かせては終に超神の在処へと行き着く。その折々によーく泣き、そしてよーく笑う。

変な食生活。

 悲惨な隣国大衆が餓死し続ける時も、国内の公園でホームレスが蹲っている時も、下生せる(この地上に降りてきた)副神と称する彼は神はたらふく食って、入浴も怠らなかった。そんな教祖であっても世間から金は集まり、大きな館は立ち、その中で彼は毎日瞑想三昧の生活をしている。そして、人類の幸福を科学的に実現すると言っている。大きな川のように法(心の教え)を隆盛にすると言っている。しかし私は彼が何よりも周囲に教えていることになっているその生活態度からは決して学ぶまいと思っている。そしてきっと正しくはないその口で説いている法からも。

2006年10月21日 (土)

一切の意味の溶解。

 私達それぞれがこの存在世界の神以下の一切の意味を作っていて本来超神だ。一切の意味は私達の本来性から来る。神という意味も。それだから、神に成り変った者も、神以外の者に成り変った者も、お互いの意味の本来を想起しつつ、お互いを評定し、お互いをそれぞれ全うしようとした。それが神以外の者の側では、典型的に堕落天使の悪魔化ということになるのだ。そしてこれからもそれぞれ本来超神の現仮象(それが人間であるなら人間として)全うして行こう。一切の意味の区別が、そして意味がそこでは溶解して在る本来の在処へ向けての旺盛な果敢な愛の実践によって!

新エデンの園計画。

 私達は新たな人類史の親になる。そのための全員でする学問の時代へ向けて究極の経済発展だ(生活のための労働からの解放)。その学問を完成させながら、新たな原始人を作り、無論、人情もこさえてやって解き放つ。新たな原始人が我々の人類史のこの完結した営みをまた反芻出来ますように!

人情は神がこさえた

、好いもんだと芝居を見ても安心していられらた。こさえたばかりの人情をふーふー拭いている神の吐息さえ感じられた。ところがある晩、人情が神がこさえたなんてオレは気に食わねえっていう声が聞こえた。そしてこの人情自体、オレがこさえたんだとも言った。今では神も私も人間は一筋縄で行かないものだ、きっと本当は神以上の者の成り変わりだと思っている。

惨めな人間の

精一杯やってもやはり惨めでしかない作品の方がいいと思う私の不思議な心。優秀推薦番組は一切見ないという私の不思議な心(テラテラした土瓶のようで)。公園に蹲るホームレスの、精一杯の彼の人生という作品!

全員の運命。

 億年、神に反抗し続ける堕落天使、悪魔達(頭目がルシファー)が、彼等の運命が自分達のみならず、この星の他の全員の代わる代わるの運命であることをはっきり示した。何故なら一切この星の現象が、本来の一体超神の発現であるからである。私たちは全員この先、彼等同等の運命を(その星の神に逆らって魔の勢力を続けること)代わる代わる引き受けることを避けられない。また御互いが本来超神であると悟って愛し合うつもりなら、それが進んで出来るようになるだろう。がしかし、ルシファー達よ、取り合えずその気があるなら、我等の薄情を大きな心で許して心を入れ替え立ち直れ!

思いつき

 指導者(教祖・大臣・社長・博士等)の善悪2元から周囲の手厚い福祉の必要な方(ホームレス,主夫等)まで、時代の個性の多様だ。至り得た教祖は、頭を下げてホームレス等を連れて。それ以上に悪徳指導者達の悪徳傾向の止み難きに(そして結果としての心のの中の荒涼たる思いに)頭を下げて彼等の心を入れ替えさせに行く。 製品は製作者と、自然から来たった材料との子供。一つの生命のように、使い勝手を頭を下げて理解させて貰うという愛用。 囲われ文化人ではなく、経済人と対等な文化人、物作りと対等な文化作りの精神力。経済人を食わしている自然が、真の文化人の精神的教導を受けよと言っている。 

2006年10月20日 (金)

美しの自然が

大変動したら、世の中の心を省みてみよ。事態ははっきりする。非情な自然法則が貫かれたのでもないし、またこの星に長年、悪魔達が存在しているがその壮大な能力はまだ彼等に獲得されてはいない。 そこでこの時代信ずる指導者には厳しいが、場合によっては人民を殺す覚悟も必要になる。無論、現にそんな悲しいことになりませぬように。 また犯罪者も多く普通人の心までが悪く、冷たくなっているこの時代の犠牲者とも言える。彼等こそ一人一人世の中の心暖かい包み込みを期待して生まれ来ていただろうから。

心の教えは

伝える相手の生活が我が事のように(それが苦しい生活なら、想像する者の心も苦しい、というように)教える者に想像されていなければ意味がない。よってそれぞれの生活の場で、少数の善人が多くの周囲の(悪人とまでは言えないにしても)非善人に苦しまされざるを得ないこの時代、教祖が信者より楽な生活をしている宗教は真実、信者の生活に役に立っているはずがない。 理想の家族というものは個人的にも、地球的にも、個性の違う魂の互いの努力によって作られる。 今、そんな奴のことは知ったこっちゃないという世相の中で家庭の主夫をやっていざるを得ない電話友達のようでなくてまだ自分は良かったと思っている自分だから、相手に頭が下がっている。 過去の事件の徒な内省は心の古傷を再び穿ることになりかねない。程々に。 心は生活するときの心理状態を調えることと、具体的な生活の用(仕事や勉強の)に対応することとのバランスを求めるべきだ。   

空前の神。

 5分神以外の者をやってみて、その自分と違う魂の障害の辛さの体験に頭が下がっている神。そしてそれだから、自分の持てる物の一切を捧げ尽くそうとする神!

涙そうそう。

 超神とは、誰もが誰もに対して涙そうそうだったてことだ。それが色々に成り変った今現在でも必ず実現できる。皆の努力で必ず実現出来る!

自己責任とは

この星では此れからは、伝統仏教のように個人が個人として自己を律することの責任ではなく、個人の他への愛の可能性を全うすることについての責任ということになるであろう。したがって、個人の魂の内容によっては、悪人として生きて終わっても、周囲との絡みで場合によっては責任なしとされ、逆に自分が善人として生きて終わっても周囲へ責任を全うしていないとされよう。ではこの時代、某教教祖の自己責任はどうなるのか?

2006年10月19日 (木)

伝統仏教の不思議な教育理論。

 縁なき衆生という仏教の言葉。あまりに心の内容がお粗末でどんな仏説も、今現段階で説いて教えることが出来ない人間。これを説くものの都合でやたら言い始めたら、社会内の教育は一切不可能になるであろう。例えば家庭内で、生まれてきて親や教師の言うことをほとんど聞かず、勉強もせずガンクロやズリサゲズボンやらに走る子供がいたとして親も教師も安易に教育放棄は出来ないはずだ。またそういう子供こそ周囲は一致協力いして教えることを教えてあげるべきはずであろう。かくして、伝統仏教もその中興を謳う某新興宗教も、自分の確立した心境を守りたいがあまりに、それを乱されるような他への愛の不足を露呈して社会教育にはあまり役に立たないのである。本人の自覚は、本人を放置しておいて何時か発されるはずのものでもない(どんどん救いようもなく悪霊化する可能性も大だ。)。また客観あまり役に立たないはずの宗教に、社会から金が集まっているのも全く奇異なことであろう。

殺人少年と優等生教祖。

 教師を刺した少年に判決が下されたようだが、彼の凶悪性は恐らく生まれつきのものだったろう。一方私と対立する某教教祖は中学で生徒会長をやるような優等生だったのである。一方私は登校拒否になるような弱い性格を某生訓練所の生活の最中に大転回して現在に至っているのである。私は今の自分は無論弱い性格ではないと思っているが、昔弱い性格をつぶさに体験しているので、弱い性格の持ち主の心理もよく分かるのである。この個性の只中の感情体験の違い、某教優等生教祖は、自分とは正反対で殺人ヘと向わざるを得なかった個性な只中の悲劇的な感情体験を思いやることとは無縁のその教義を考え直し、出来ることならこれからでも副神の看板に悖らぬものにして貰いたいものだ。私の教義に随えば、貴方のような個性こそ、今人生、彼、殺人少年に被害者の悲惨に劣らず、その衝き上げて止まぬ凶悪性という個性の感情体験の過酷故に頭を下げて彼の人生救済のために身を捧げ切るべきなのだ。

2006年10月18日 (水)

だからマザー=テレサ

愛とは分かち合うことなんですね。相手の恵まれぬことの悲しみをよく分かち合って貰えれば、自分の相手より恵まれたものを相手によく分かち合える。この時代真の神は、人間一人一人にそう出来なかった自分を大泣きに泣いて謝りたい気持ちに辛うじて打ち勝っている。無論ほとんど放置されたに等しい(私の至らなさも無論あって)人間一人一人を、自分以上の存在であるとして手を合わせて拝んでいる。但しそれは現実には厳しい措置が下される可能性とは決して矛盾しない。

大変なんだよね。

 子供を未熟で大変なんだよねと頭を下げて支えた親が、年老いて大変なんだよねと頭を下げて親を介護する子供に成長させる。こうして、情は廻り廻る。

善悪。

 行く行くは自分がこの星の最後の悪い奴だとカッコツケル、素朴な悪い奴の悪に付き合って上げて最終、この星の悪を一切無くしてしまう、超善人になろう。悪人を無くする努力の取を取るのだ。 自分の孤独を必然多岐なように言う人はカッコイイが、何処かにエゴが潜んでいる。 悪い奴を除者にするしか能のない善人ばかりでは、その内その善人が帰って行ける天国もなくなるぞ。 善人も悪人もその昔ベッタリくっ付いていた。それだから。 また経済人と文化人もベッタリくっ付いていた。それだから文化人は経済活動を精神的に指導して、経済人に飯を食わして貰うんだ。

2006年10月17日 (火)

金正日がこの星の生き物皆に愛される時は来るのか?

 金正日よ、生き物皆はずっとずっと生きていたいのに、神様の御命じで他の生き物の犠牲になることになっている。貴方の精力を盛んにしているのも色んな生き物の犠牲だ。だからその精力は、生き物とに人間との麗しき繋がりの実現のために費やされなければならぬ。国際自由共産主義。つまり貴方が共産主義を経済を自由に改革開放して貫こうとするなら、生き物皆は泣いて喜び、新生北朝鮮建設の精力のために、続々犠牲になってくれるだろう。

個性内容を超えた普遍的な生き方。

 自由に生きる(例えばニートのように、労働を仕向ける親や神に逆らって、あるいは人によっては自分なりに愛に生きる、あるいは神の仕向けを受け容れて等等)!

2006年10月16日 (月)

グレーゾーンの信仰。

 堕落天使、悪魔達に長年は刃向かわれて、その態度の諸々を悔い改めつつあるこの星の主神へグレーゾーンの信仰、醒めた信仰、屈折した信仰を。それが一個魂がこの星で、出来るだけその純粋を維持する所以のことである。何所其処の宗教のような不純神人交遊は止めにしよう。ラヴミドル アーメン(愛の中庸が、遍く実現されますように)!

冷血似非仏教は

(何処其処の新興宗教はどうだ?)食糧と酸素を預けるから、家を出るなんて不徹底なことをしていないでこの星自体を出て、何処か孤独な星で御好きな修行に励んで下さるよう、熱き心で心から御願い申し上げます。

自殺した生徒には

状況を考えると、この世の生存継続の義務の放棄のあの世での譴責に寛恕があって然るべきであろう。あの世の役人様には徒に彼を責めて、反抗されそのまま悪魔に発展されませんことを。

大宇宙遍くの此れから星を開く神は

開いた星の一切被造物に頭を下げて捧げ尽くせ。それをしないで、被造物の誰彼の反抗によりこんな現状にされてしまったこの地球のようにならないために。然るに同時にどんなに頭を下げて尽くしてみても、最後は廃業を強いられ、非神乱舞の弁証法の過程に移行せざるを得ない存在論的不可避的運命をも弁えよ。星の開闢それ自体が徐々に超神力に催されてそうなるのである。一切の原理=空は超神(超仏、超天)で、神すら無常だ!

国力の差は

対等条件が与えらた国家の努力の差に拠っているのではない。だから先進国には、今まで全くそれをしてこなかった、途上国に頭を下げてその優れたるところを捧げつくすという神聖な義務が存在している。無論、北朝鮮に対してすら。

心の拗れた悪人は、

側の善人が自分が善向こうが悪だから、自分の方が自明的に存在価値が上と思っているうちは決して改心しない。無論、国家だって。御互いの心は御互いの心が作る。

別種の悪魔国家群。

 悪くなっている北朝鮮対して、自分達の責任の自己反省も(例えば餓死者続出の時、周囲は十分なことをしてやったのか、有り余る食い物を捨てていなかったか)彼等の苦衷の理解もなく唯唯悪者にして責める周囲国際社会は別種の悪魔国家群だ。仮に国家的掃討が相成ったとしても、イラク同様彼等は亡霊として地上を脅かし続けるであろう。つまりそのような所行は我が信ずる地球魔の勢力救済根本神仏天が求める本当の成功でも、解決でもないのだ。周囲は先ず、自分の責任を自己反省せよ!

2006年10月15日 (日)

国連へ。

 北朝鮮には、制裁と説得の望ましきバランスで宜しく御願い致します。

思いつき

 ブログで自室からネットに認識を流せる、容易く公私混同が可能な不思議な時代。 ブログは何時の間にかチョコチョコ修正出来て、毎日の神の雲の芸術みたいだ。それも何時の間にか形が変わっている。神の心変わりのように。 西行のように、芭蕉のように日本中を旅して歩けば、方言と風土の結びつきがすぐに分る。言葉は土地の者に語られる度にその土地の神の熱き心をその者に感じさせる。 しかし私は、人間の反自然をリードして都市景観をそそり立てる、彼等魔の勢力からも心が離れることはないのだ。彼等の安易な勘当が良くないことだった。淋しさは、自然のそれより艶やかな人造の華を、自然のそれと競って咲かせかねまいから。     

この星の神を許して。

 膨大な財政赤字が日本人の多数がこの星の神が求めるようには一生懸命は働きたくないことを証明した。一方、アジア諸国では、現地資本、日本を初め先進国資本のために多数が過労になっている。かくしてこの星の神の求める国際自由共産主義はあるがままの世界構造では、人間の多数がそもそも受け容れれないという根本矛盾を孕んでいるのである。(某教教祖の霊界探査では人間の中に怠け者(4次元霊)と働き者(5次元霊)がほぼ半々存在していて、同じ比率で地上にも出ている。にもかかわらずこの星の神は働き者一元で歴史社会を律しようとして根本矛盾を作って来ているのだ。)しかし世界制度の改変は俄かには出来まいから、無理強いされる多くの魂は本来超神の誇りにおいて、国際自由共産主義確立が阻まれる時は少なくとも一部人類の天変地異による掃討をも考えているこの星の神を許して、当主義の確立に努力してやって欲しい。

思いつき

 私達というフラクタル、心は言葉を宿し、言葉は心を宿す。作家や、詩人を自分の深遠なる務めのようにして死に追い込んだ、言葉の苦い記憶。 神が神以外の者に、親が子供に、教師が生徒に、男が女に常時頭を下げていなければ、そのあるがままの存在がエゴイズムだ。 楽に暮らしたい人間達が労働を押し付けられたので、御互いを犠牲にしようとする争いを始めた。かようなゆ ら ぎが存在の劇の根拠だ。神をとりあえず俗物化し、他の者を超聖化して。 かくして彼の吊るし上げはこの世界の必然であろう。深く愛しているから。 親が子供に苦虫を噛み潰した顔をして子供の希望を無にする。しかしその絶望が子供の超聖化の根拠でもあろう。しかし悟って子供に神に成り変って土下座して謝る親がいたら、この世界は少し救われる。 そして大日さんの種子より出て仰山の異形の者達で、流石の大日さんも疲れて、自己日食を遂げてしまうのかも知れない。

2006年10月14日 (土)

西行と実朝。

 昔生きた人を十分に批評したかったら、今自分が生きているこの現在において、自分が昔の人と同じ社会的条件において生きてみなければならない。それが批評がまともな批評になれる最低の条件なのだ。文学は対岸の火事を美しく描ける魔力を秘めたものなのだから。火事の只中にある者達は唯唯熱くて逃げ惑っているだけだろう。西行も実朝も、権力闘争荒れ狂う鎌倉武家社会に同じ武家の者として生まれて自分なりの態度を取らざるを得ない、同時に文学者である者のとして生まれた。心醜悪な輩を突き放して自然に摺り寄るのもよしだが、実朝は詩が終に野蛮政治家の心をも調える可能性を信じて渦中を生き、あのように横死したのだった(「八大竜王 雨やめたまへ」)。詩は何時かそのように出来るのか?詩が高らかに大自然と共鳴しつつ鎮護国家できる時が来るのか?(因みに西行は現代にカフカとして生まれ変わって、昔のように社会生活を拒絶出来ずに分裂病になっている。)

自分より人生が

大変そうな(能力、性格、家庭環境etc)助けてやるにも、どう大変か、本人に頭を下げて教えて貰う(その結果実際頭が下がる)位に態度を良くしないと、反って本人を苦しめ、その結果反発されたりもする。そして恐らくこの星の神に今まで、神以外の者の人生をよりも超えた魂行路に対するこの態度がなくて、この反抗者達の存在なのだ!

思いつき

 大日さんと地球さんの深い思いやりが、自分達の振る舞いを地上の人間に、天空に日が昇り日が沈むように見せる。 裁判官の皆様は、犯罪者との心の深いところでの繋がりを自覚しつつの裁判を御願い致します。 悲しみに耐え抜いていて務めを果たす神、自分を省みまた人間の気持ちを思いやらせて貰いそして教えて貰って自分の持てる物を捧げ尽くす神。 正教ならば、憲法にも国家にも存在が先行する。

スッポンポン。

 踏み外して昼からホテルでスッポンポン、ズッコンバッコンの検事に徒に引け目を感じさせないために、俺も嫌いではないし、星の神にして同じく転落だってしないとは限らないと言って、皆の前で一緒に思いっきりやって見せてもいいと主神は言っている。一緒に出直そうとも言っている。

人の褌で

相撲を取って悪いのか?作られる褌は少ないが、心のGDPは極大の社会!

2006年10月13日 (金)

50男の不思議な精神日常生活。

 刻々、任意の性(男性とも限らず、180度非男性=女性とも限らず)を企て、任意の年齢を企て(年相応とも限らず)、正常と倒錯を刻々往還している。神に、御前のことはもうからきし分からないと嘆かせている。恐らく本来、自分神以上の者=超神が御前になっていて俺に対して永遠に謎なんだと神が諦めている。また、自分を自分以上=超神に発達させてくれる者として神が固く抱き締めている。

プロ野球の理想は

全チームが5割で均衡することであるはずなのに、基本自分のことしか考えていない人間の集団のファンが、自分の御贔屓のチームが優勝した優勝したなどと馬鹿騒ぎの、全く心のレベルの低いことを言っている。それは取りも直さず、自分の地方にだけすこしでも多くの予算をという住民意識と表裏で財政赤字をかくも膨大にしたのである。またそれが構成されて、自分の国だけに富を、の国家意識も作り上げられる。神は感じ取ってまたきっと御不興が募るぞ!

2006年10月12日 (木)

ゆ ら ぎ。

 超神から成り変った天使や人間を、超神から退行して既に超神でない神は育てそこなったのだ。神の前の魔の勢力の存在は、この劫初の、ゆ ら ぎ、のせいだ!神以外の者を本来超神としてこの星で初めて拝む神が、そのことにより自分を超神へと回復させて、劫初の超神一体の心の繋がり、愛の繋がりを魂の上下、善悪の仮象(仮の姿)を超えて全体に復活させると共に、この星の魔の勢力を救済することだろう!

人間の崇高な理想=愛

の自覚を憲法前文で高らかに謳った日本国民は、アジアの隅々までにその愛を満たすべく、そこにある物質生活の非対称の解消のために全力を尽くせ!美しい日本造りを超えて美しいアジア造りを!

2006年10月11日 (水)

思いつき

 魂には超神の意地が秘められいる。 それだから自分その他に頭を下げてくれる神だけを信ずる。また同じように神以外の自分より優れ者にも、彼へのストライキの可能性を秘めて。 よって信仰しつつ、現にその神にストライキを打っている魔の勢力の救済に向うには、自立心のある信仰でもってしなければならない。 相手がいいと思うことをまずさせてあげるのが、愛の基本だ。だから権力を振るいたい奴にすら、自分が犠牲になって。 人間を納得させて善導する神。 相手に親身になる、対場を取り替えてみて。 物質的損得も、霊的損得=尊徳も超える魂の純粋=神への反抗。 私なら学校教育は、先ず愛を教え、次に道徳を教え、次に国語を、次に社会を、次に理科を、次に数学を、次に外国語を、と教える。

    

2006年10月10日 (火)

誰が本当に愛してくれたのか?

 深刻に恨まれたことのある人、考えてみて下さい。自分の結婚式に駆けつけられたりした人、考えてみて下さい。誰が自分を本当に愛してくれたのか、それは個人にとっても最低、二生、三生考え続けなければ、結論の出る事ではないのかも知れません。増してある星の誰彼が星の全体を思うということにおいておや。

泣かせて。

 神よ、今日は悪魔ルシファーのために思いっきり泣かせて下さい(小椋先輩もネエー・・・)。その涙雨の後、今まで誰も見たことの無い、この地球の青空が訪れますように。

思いつき

 人間悪とはその星の神のなってなさを証明するものだ。 出来た神は、神以外の者に仲間から預かってある物を返すように、自分の全知全能から分かち合って歩く。 自分その他に頭を下げてくれる神を選んで帰依すべきだ。 また神の徹底的な奉仕の姿勢が、全くお粗末な内容の人間をも向上へと歩み始めさせる。 しかし現状に流れたい人間の志向をも受け容れてしかもその存在を馬鹿にしないのも神だ。 神の博愛とはまずは一人一人に絶対価値を認める。つまり神の博愛は、相手のあるがままの自由に超神の価値を認める。自由は周囲を、それだから隣在する神のありようをも判定するのだから。

円周率と神の知能。

 現代のスパコンによる例えば円周率のような数の計算競争、しかし神が円周率の任意の桁の数を即答出来ないというのも変な話であるから、ここにおいて神の計算知能の無限大が具体的に感得出来るのである。しかるに人間の能力は神の能力に何時かは行き着き得るというのが一つの宗教的原理であるから、人間の知能を一定時間内に大発展させ得る、例えば関数tan xに即しているような知能アップ技術がどこかに秘められていると考えざるを得ない。

科学法則と恩寵。

 あるいはそれぞれの先端に思考と感情を持った霊魂が化体したかも知れぬ、現代物理学が解明しつつある究極の物理的実在、スーパーストリングス?一方でそれが波動量子=ボゾン(フォトン=光子=電磁気力子、グルーオン=核力子、ウィークボゾン=放射能弱力子、グラヴィトン=重力子)を、一方で基礎物質粒子=フェルミオンを構成し、フェルミオンが核外子=レプトン(電子、中性微子等)と、核子(陽子、中性子等)基礎構成子=種々のクウォーク、に分類されている(以上、正確な解明かはともかく)。かくして基礎物質過程は最低次のスパーストリングスから最高次の化合物高分子(蛋白質、核酸等)までの、数次の階梯性が見出されて来ているのである。この壮観は神が?恐らくそうであろう。その場合、その構成や運行法則の恒常は神の恩寵によって担保されていると考えるべきであろうから、科学者は宜しく、物質一般に手を合わせて拝み(物質粒子を、戒律(つまりこの場合、科学法則のことだ)を墨守する僧のように思い為す位に)倫理的利用、活用を常に心しなければならないのである。

2006年10月 9日 (月)

クレージーケンみたいに

俺の話を聞け!と悪くなっている奴等にからきし言えない、何処其処の自称この星の副神はもう必要なのか?彼には彼の持てるもの一切を彼以外の者に捧げ尽くす気持ちなんて無い。皆、そう思わない?

一対の男女の恋愛感情が

実は私たち全員が劫初に、超神としてそれはそれは深く、結び付いていたことを証明する。そして、本来超神一体の、現の神と神以外の者(もの)という仮象の下で、神が神以外の者(もの)に頭を下げて尽くし、他のより優れた者もそれを学べば、その仮象のままで全員に本来の超神一体そのものの結合感覚は常に得られ、全員が常に超聖化される。

2006年10月 8日 (日)

主神意識。

 太陽光を中継する大日意識、地球本体に宿る地球意識、月に宿る月意識(これは陰の大日意識)。これらに準ずるものとして大気圏を調整する天空意識、(大気の心地よさや、いい雲の形を造ったりする。)、各星の光を中継する星意識。昼は大日と地球が司り、一切地上生命の雌雄の模範となっている。夜は、月意識と、地球意識が司る。以上のが自然の中にある、自然意識。一方、大日意識、月意識、地球意識は霊界頂点にも存在を置いて、霊界・地上界を貫徹する人間の歴史社会の指導をもする(歴史意識)。それぞれ歴史社会=広義の文明社会、陽なるもの(政治・経済等)、陰なるもの(ある種の文学・芸術等)、自然連関のもの(自然との調和を謳う思想的・実践的営為)を。これが、一体主神意識の分岐ということなのである。(因みにこの主神と、主神以外の者(もの)は、未生以前は、主神一体を超えて超神一体なのである。無論魔の勢力も、そして彼等が主神が以前より断然、薄情だと言っているいることになるのだ。もっと、以前のように極々深く、ロマンチックを感じさせてくれと!)

2006年10月 7日 (土)

誰か、ロマンチック、止めて、ロマンチック、

神が、神が、万引きしてるー・・・。ブラヴォー、ラヴ ボンバーズ! 神々様よ、皆本当は超神なんだから、オレッチ見習って、それぞれ、もっと自分より上の神々様を怖がってるなと言っている。(校長が教育委員会に申し立てて、今日から自分も茶髪・ガンクロにするだとか、田舎町のしがない教育長が、半端じゃない非行に走った娘のためを思って、水商売を始めるだとか(、しがない、が、シガネエ、と、これも文化だよなー)・・・)。俺がイイテエノハ要するに、優者は、劣者にその優位を存在論的に償えってことだよ、だから絶対の優者である主神が率先して・・・。

2006年10月 5日 (木)

我等が逆説的に

有かつ無=超神なのなら、沈黙の宇宙圏もく必然(きっと)必然(きっと)微笑むだろう、我等に! 非愛は周囲の愛の停滞によって生ずる、だから愛は何時も、未だ絶対でなくて済みません、だ。 かくして、地球の現状されど確かに存在する神仏天への信仰だ!

2006年10月 4日 (水)

ココログさん。

深く感謝しています。色んなどこそことは自分は力を合わせ損なったけれど、ココログさんにはさらにさらに広い心で一と一を合わせて結果無限、の愛の計算結果の実現、宜しく御願い致します。

北野タケシ家の場合、

東大が明治に尽くすことに気づけて、一家繁栄でおめでとう。ブラボー、グッドブラザーズ!外の家族もがんばれ!そして何時か地球大家族にだ!

無償の悪意をも覆す愛。

 一切魂=本来超神の底の底に、無償の悪意或いは非神=神にあらゆる意味で背くこと、の意志とそれを覆す愛とが番っている。魂は恐らくこのように、本質的に肯定と否定とが交替する弁証法的存在だ。その究極の愛が発現したとき、この世界は終わる。 ましてこの星の現在の理由のある悪意なんて。

ラーブ体操で財政赤字解消を。

 この星の父なる神=大日様、と母なる神=地球様との慕情の果てに、一切生命が生まれた。それだから、慕情のメロディに乗ったラーブ体操で一切生命の愛は大日様がこの地球をヒシと掻き抱く深い愛にまで行き着き得る。男女の愛を、ペア同士の連帯感を媒介にして地球大に膨らませていくのだ。このとき一人一人がが、大地球を、大アジアを、そして大日本を思う愛の持ち主になれるだろう。そして進んで税金を払って財政赤字解消だ!

超神=超ピン=ピンにして同時に、それ以外キリまで。

 ピンから、キリ=裏のピン(一番悲惨なので)までとが愛し合って何時か皆が行き着く。神からホームレスや悪魔までと、社長候補から出社拒否の社員までと、豊かでは平和な国から貧しくて争乱続きの国までと。超ピンがピンからキリまでになっている。

2006年10月 3日 (火)

思い出の渚、が好きな人は、

自然の深い願いが分る人だ。そして、自然が時にしなければならかった辛い思いも。そのことを勇気を持って、広く皆に伝えよ。自然はまた再び、人間の社会をを抱きしめたがっている。

2006年10月 2日 (月)

日蓮は

本来ユダヤ教・イスラム教系の魂が日本仏教に出向して、釈迦仏教に無い政治性を付け加えようとしたのだ。だから後年、日蓮の方が釈迦より偉いという教義の新興仏教出てくる。しかし南無妙法蓮華経の題目は、南無阿弥陀仏の念仏と同じく、頭の弱い衆生を仏縁につけるに功はあっても、仏教本来の自己反省による個々人の救済を実現するものではない。しかし一方、この時代根本仏は寧ろ先ず日蓮のように振舞うのを善しとしているというのが私の確信なのである。然るに現在日蓮系でありながら、日蓮のように振舞う者はいないという体たらくで、無論釈迦仏教の再興を謳いつつ、日蓮系の某新興宗教と対立し続ける某新興宗教などは以ての外なのである。日蓮系の某新興宗教は教義の甘さと教祖の霊的な堕落とで、邪教認定が相当なところまで来ていようが、それが中々衰弱はしないところに悪魔ルシファーの強い差し金が窺われるのである。一方それと対立する某教は仮に未だ正教の範囲に留まっているにしても悪と敵対的に善の光を広げていう構えで、善を一方で押し広げていながら、一方で反って隣在する悪を強固にしてしまうという誤りを犯してしまっているのである。事実、邪教一般は少しも衰弱していないし、政治的抵抗勢力もこれからまたどうなることか分ったものではないであろう。そのような善行(隣在する悪を反って悪くする)は、実質は別種の悪行に等しいものだ。かくしてこの地球霊団伝来の善悪二元構図を超えようとして自己の態度を悔い改め魔の勢力の救済に向かわんとする主神に固く帰依する宗教だけが、この時代のこの星の危機を乗り超えさせる宗教なのである。

釈迦仏教は根本仏教ではない。

 彼の説法の根本欠陥は、同時代の世俗に関心が希薄であったことである。彼はその時代に長者に生活を支えらて世俗に斜に構えていたのだし、それだからそもそも長者という存在が善と言い得るのか、また長者を存在させる世俗社会が善と言い得るのか少しも考えようとしなかった。だか無論その世俗の中のその社会構造故に極貧に喘ぐ者の本質的な救済ということは出来るわけがなかったし、またその時代生まれて来て頬って放って置けば自然に罪に塗れてしまう者達をも放置するしかなった。因みに、生まれつきそのような善の根が断ち切られた者達は、釈迦仏教徒が全く気づいてないようだが、彼等すぐに衆生と縁を切りたがる薄情釈迦仏教徒を鏡に見せているものなのである。一方では現代では、そのような薄情釈迦仏教の縁起により僧侶にまで逆に断ちがたい悪縁をつける衆生まで現れてしまっているのである。また彼は、世俗で悪権力を振るう権力者に対する十分な対処法を教えるでもなかった。それだから彼の教説は、例えばこの現代の北朝鮮のような国家においては全く教えとして意味が無いものになってしまうのである。北朝鮮にあっては、釈迦仏教徒も権力が自分達に無理無理縁を付けての強制労働を免れることは出来ないであろう。釈迦仏教の再興と称する某宗教も、全くそれに毛が生えた程度のもなのである。こうして釈迦仏教が戒律によって行儀よくして同通しうるのは、自然の心の内、基本、世界を平かに然らしめようとする部分、そして霊界の自分ばっかり善なる生活が出来ればよいと考えている領域に過ぎないということになるのある。これは自然の根本に、そして霊界の根本に貫徹されてある根本仏光の総体から極一部分の内容ということになるであろう。根本仏はこの時代その慈悲故にこの日本を撲った。それだから、仏教徒、真の根本仏教徒たらんとすれば、その時代の根本仏心の在所を直覚しつつそれに導かれるべきなのである。この時代根本仏はむしろ、なまじの経典も瞑想も捨てて、自分の光を受けて旺盛に世直しに励めと声をかけるであろう。

2006年10月 1日 (日)

超般若心経。

 大日さん(太陽光を地球圏の入り口で受継する意識)が地球さん(地球本体の意識)慕情し結合して、人間を含めた地上一切の生命が生まれた。そこで国際自由共産主義の下、ラーヴ体操と地球大セックスにより、全員の心が男は大日さんに、女は地球さんに通ずる。色即是空=現象は実体のない(=空の状態詞解釈)ものだ、実体は他にある。或いは現象は、素朴には存在が空しいとしか思われぬ実体=空(=空の名詞解釈)、から生ずる。超般若心経、空=超仏、即是、色=発達する反省的慈悲による済度心と、対象たる悪魔心。 如来、菩薩、阿羅漢、衆生は、根本仏定立の縁起により、根本仏から分立定立された。彼が有って我も有る。然るに一切は実は超根本仏から定立されて有った(その他霊的生命も、或いは物質粒子も)。 

貪り、怒りを断つ、から隣人愛へ。

 仏教の言う基本煩悩、貪り、怒りを断って個人は個人として平静境に入れる。しかしそれはそのことにより、貪りや怒りによって他を害することから来る反作用も免れ得て平静という要素もあるのだ。つまりそれは隣人愛の要素とも言えるもので、そうだとすれば仏教徒もキリスト教徒のようにもっと積極的に隣人を愛することにすれば、きっと心はもっともっと深く平静境入にれるであろう。また、その平静境を人にお勧めすること自体も隣人愛ということになるのだ。一方隣人を愛さんとするキリスト教徒も、その人格の内核が平静境であるに如くはない筈だ。

仏教。

 人生苦とは、仏心の培いの糧だ。成仏すれば、苦がそのまま楽となる。 禅問答は存在の認識を喩え合うのだ。例えば、鼈甲の糞かき箆とは、真に高貴な者はヤクザを救済に行くいうことだ。 道元の曹洞禅は、仏の仕事の型から入って仏心を催させる。だから帰依する者は理屈を言わず、徒に自己分析もしないで、導師の言う清規に素直に随うだけだ。 新八正道。根本仏心を回復する志=正思、の下、正しい人生計画を立て=正念、さらにその下で、正見し、正語し、正業し=正しく行為し、正進=正しく経典学習をし、正定=正しく反省、し続ける、正しい生活=正命を。(然るにこの時代、根本仏は日本社会を撲っているのであるから、この事実に付き従わない仏教徒とは、口先だけの、道楽の瞑想、教学坊主、或いはその実、俗人同等の坊主だ。)

ラヴはミドルに !

 あの時神の愛が、列島中段に炸裂したのだ。それだから、この日本にも、東洋にも、世界にも、外の一切の余計な話、余計な理屈はいらない!(校長は、乱れた教室の急に入って来て生徒を殴り、側にいる教師を睨み付けるだろう)

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