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2009年7月12日 (日)

神よ、止み難きものが、

一人一人の内なる、世界の自己決定の衝動!

犬塚よ、今度は、

君の生地の工場地帯の空き地に雑草をほの見せながら、人間の生活へと自分を犠牲にし続けた来た自然の、時におどろおどろしくなるのを辛うじてコントロールして来たその情念のありようを。因みに山登りは、一般労働者にとっては、束の間の楽しみとしてしか許されてはいない筈だ。それだからこれは自然画のようであって、それが自由に可能だった、彼の社会存在性を絵に投影しての、社会画、と受け止めるべきなのだ。またそのような社会存在者(社会生活を自然の心を傷つけぬものへとと調え続ける努力から逃れようとする者)、実は人間生活の周囲の自然すらも、決して訪れては欲しくない筈のものなのである!

超仏なおもて

超往生を遂ぐ。況や非超仏おや。されど、薬あるとて毒を好むな!

超神が神に、

生まれて来た、君の造った世界への、無償の破壊衝動の持ち主も即受け容れてやれる者に成長せよ(例えば即、これは破壊自由の、世界の複製を造ってあげる等して)、と言っている。超仏が仏に、衆生が非仏無碍の本願を誇れる、超阿弥陀仏になれ、と言っている。そして神は仏、仏は神、超神は超仏、超仏は超神!

昼の夢は、

あの人の優しい心というものがよく分かる平山画伯の訪問だった。自分が、どんな自慢になるもてなしようも出来ないので、二階から昔買った画集を持って来ることにした。ガサガサやっているうちに、様子を見に来た姉と些細の事で喧嘩になった。一頻りして、下に下りていったら、用があるので帰られたということだった。そして途轍もない悲しみが訪れた。 姉は絵を書かせると、荒い力強いタッチで描くような性格の人だ。それだから、国家からの給付金その他を自分が先に立って逃さずゲットとして家系のためになっているが、人にまでそのことを要求するので困る。 村上春樹の小説の中の人間は、蒸発、のように死んで行く。彼等は、神の造りし、この世界(隣人のありよう(何も性格の著しく違う、そして愛について十分に教えらていない隣人でなくてもよい)、自分の心身のありよう(周期的に空腹になっても、放っておけば消失するものであってもよい)も含めて)への抗議者、として発達したのだ。太宰治も、弱々しそうに見えて、最後は、入水を決行出来る者なのである。 それにしても、現のこの星の神を突き放して、未だ見ぬもっと別の神を虚空に求める彷徨にこんなにも長く、明け暮れてきた者達のことを思うと、そしてこの星の神の、そしてもっと神一般の下での、神で非い者の、彼等が証明したような苛酷な運命の可能性(この星の神は彼等を、唯、何時今でも反抗を止めない仕方が無い奴等、としか受け止めて来ないのか?)、自分の胸は幾千、幾万回張り裂けても足りない位の気がするのである。 しかしそれだから彼等だけは、一切の感傷を無に帰すために、文学というものに基本的に必須の、時間ということと絶縁して、既に超文学的、で有り得ている筈だ。黙示録を、自分達を憐れな者達と虚構した、この星の魂卑しき神・天上の者達のものす、三文小説、と揶揄しながら!

芸術家よ、

貴方の意識はこの地上では、その社会の経済法制に従い、貴方のために余分な食糧を生産してくれ労働者の意識と共にある(彼に食糧提供を拒絶されたら途端に貴方の意識はどうなる?)。それだから、貴方のエロスを芸術へ昇華するとならば、掛って、彼等へ向かって感謝を込めて。だ!

一切この星の芸術家は、

刹那に、自分のこの星での固有の悲しみ、として企てよ。彼等の心と、深いところで通じ合えるように。しかし我々の本来ならば、芸術家は非芸術家であり、非芸術家は芸術家である。刹那の嘆息の「あ」の口の中を、自分固有の良い形にという、前言語芸術なら、誰にだって出来る!

南無阿弥陀仏。

 自由共産国なおもて往生を遂ぐ。況や帝国おや。そこで世界の諸帝国の皆様は、自分が、南無、を唱じ続ける間に宜しく御願いします!

反核の、天地、

への鎮め、は人類の誠意ある悔い改めを持ってせよ!

癌勢力。

 魔の勢力、テロ国家勢力、反社会勢力、抵抗勢力、組織の癌、身体の癌、身体の細菌・ウイルスの皆様は、この星の神初め、その傲慢な態度を超神を拝んで悔い改めてますので、自主的に健全勢力に成り変って頂きたく、此処に宜しく御願い申し上げます!

«今日も無際限に無限に、